横井久美子 東京新聞「本音のコラム」 2002年3月26日
どこかで春が

 春になると思い出す童謡がある。「どこかで春が生まれてる/どこかで水が流れ出す/どこかで雲雀が啼いている/どこかで芽の出る音がする/山の三月東風吹いて/どこかで春が生まれてる」
 たったこれだけの詩なのに、春を迎える日本の山河が美しく鮮やかに目に浮かぶ。
 この詩は、一九二三年、当時、三◯才の百田宗治によって創られた。
 時代は、シベリア出兵、朝鮮侵略など、明治憲法下の軍国主義が凶暴に吹き荒れはじめる冬の時代。しかし、そんな時代にあっても、「国の主人公は私たちだ」と、侵略戦争に反対し、国民主権、女性参政権を求める叫びが地の底から湧きあがった。
 その声を、百田宗治は「春を告げる声」と聴き、この詩を書いたという。
 優れた芸術家は、「地底のカナリア」のように、時代を敏感に感じ、警鐘し、また、「どこかで春が」と、人々に生きる希望を伝えることができる。私も音楽家として、少しでもそういう仕事がしたいと願ってきた。
 さて、今回でこのコラムは最終回。一九九九年四月から三年間、世紀を跨いで一五四回、書かせていただいた。この欄のおかげで、私は、より時代に敏感になることができ、かってない貴重な経験をさせていただいた。最終回にあたって、この欄を通して応援して下さった方々に、心からお礼を申し上げます。

横井久美子

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