Kumiko Report 2001 |
世界女性行進参加のためワシントン・ニューヨークへ 10月15日は、国連が提唱した「世界貧困根絶ディー」。カナダのケベックの女性連合が草の根から貧困と女性への暴力をなくしましょうと呼び掛け、私も日本の女性団体のなかに入れてもらって行ってきました。 ワシントンのフリーダム広場には、2万人の女性たちが集まり、前ワシントン市長のお母さんが、「私たちは子供たちに女性を尊敬するよう育てましょう」と演説。女性達が拍手を送っていた。ワシントントンは、前日に雪がふったとは思えない熱さ。ニューヨークは凍えるように寒かった。世界中の女性たちのエネルギーを貰って帰ってきました。 11月18日、ベアテシロタゴードンさんを迎えて 昭島市民会館でのベアテさんを迎えての会は、会場をうめた1200人の人たちで熱気に溢れてました。 ベアテさんは、5月3日の参議院の憲法調査会での発言を中心に、日本の憲法が世界にくらべて、どれほど立派な憲法であるかを話していただきました。ベアテさんとトークの時間もありました。 第16回ふきと久美子のトークライブ 憲法を守り続けてきた101歳の櫛田ふきさんと日本国憲法の作成に関わったベアテさんの「世紀の対面」は、櫛田さんが、体調を崩され欠席。でもベアテさんの素晴らしいお話を身近で聞くことができて、参加者は大満足。方言指導者で俳優の大原じょうこさんが大阪弁で憲法24条を語ってくださり、会場は大笑い。楽しい会でした。その後、櫛田さんのお見舞いにでかけましたが、お元気そうで、2001年2月18日の102歳のトークライブに出席を楽しみにされていました。 「女性国際戦犯法廷」開かれる 20世紀の犯罪が、20世紀の最後の最後に裁かれ、私は21世紀に生きる情熱がふつふつと湧いてきました。 「女性国際戦犯法廷」ルポルタージュ(五日目) 横井久美子 十二月十二日、日本軍性奴隷制を裁く「女性国際戦犯法廷」最終日。 十二月八日から三日間の審理のあと、「現代の紛争下の女性に対する犯罪」国際公聴会を挟んで、その日、四人の裁判官が、「判決要旨」を発表した。 「法廷」は、それまでの九段会館から日本青年館に。判決を待つ満員の傍聴席には、この歴史的な日を迎えるに相応しい荘厳な空気が流れていた。 裁判官四人と主席検事二人は、世界的に著名な国際法の専門家である。特に、裁判長である国連の旧ユーゴスラビア国際刑事法廷前所長ガブリエル・マクドナルド氏(米国)は、審理中も、韓国・北朝鮮合同検事団に対して、「『慰安婦』二◯万人という人数の根拠はなにか」「なぜILO条約で告発するのか」など質問し、実に公正な印象を受けた。 同じく、旧ユーゴ戦犯法廷の現役法律顧問(ジェンダー担当)で、ルワンダ国際刑事法廷の法律顧問も務めたパトリシア・セラーズ氏は、戦時性暴力を世界ではじめて「人道に対する罪」として裁いた旧ユーゴ戦犯法廷が、正式に参加を許可して、この法廷の主席検事となった。彼女は、法廷に先立って「黒人奴隷の子孫」として、「性奴隷」とされた元「慰安婦」には格別の共感を覚えると語っていた。 壇上の検事団や傍聴席の人々が起立するなか、四人の裁判官が着席し、マクドナルド裁判長のいつもと変わらない落ち着いた声が判決要旨を読みあげた。 「戦争中の慰安所制度は、東南アジア支配の日本の戦略の一部であり、天皇を最高司令官とする軍・政府当局によって制度化され、準備、管理された奴隷システムである」。 「これは、一九〇七年、戦争下でのすべての人の尊重を定めたハーグ条約四一条に違反し、一九二一年の人身売買禁止条約に違反し、一九三◯年のILOの強制労働に関する条約に違反し、一九二六年の奴隷禁止条約に違反し、当時の国際慣習法に違反する」。 「こうした人道に対する罪に時効はなく、平和条約や二国間条約の影に隠れて免責することはできない。」 「よって、一、天皇ヒロヒトは人道にかんする罪において有罪と判決します。二、日本国家は有罪であると判決します。三、告訴された二五人以上の被告に対する法的分析は十分であり、判決全文は、二◯◯一年、三月八日、国際女性デーに発表します」。 会場は、歓声と共に拍手に包まれた。かって裁かれたことのなかった天皇が、「法廷」で裁かれた。責任を怠ってきた国家が処罰された。会場の参加者は次々と立ち上がって、この歴史的瞬間に拍手を送った。私のまわりでも、まず私の左隣に座っていた外国人たちが瞬時に立ち上がった。次に右側の若い女性が、そして私も。 今回の法廷によって、日本軍の慰安婦制度は、戦時下における性奴隷性であるということが、国際法に照らして法理論的にも明確にされた。 判決後、アジアから集まった六十四人の被害者が壇上にあがった。歴史から排除され、抹殺されかけながら勇気ある声をあげた女性たちの目は、喜びの涙でぬれていた。 マクドナルド裁判長は、この法廷がいかなる国家権力からも独立し、国家が「人道に対する罪」を犯し、その責任をとらない時は、国境を超えた「人々(ピープル)」の連帯でこれを糺すことができると強調した。 そうなのだ。人々が力を合わせれば、たとえ闇に葬られた不正義でも、光りがあてられ、正義が貫かれることをこの法廷は示した。 私にとって、法廷に参加した五日間は、怒り、涙し、感動し、今までの人生で最高に凝縮した五日間だった。 二十世紀の最後に、二十世紀の罪を裁いた歴史的な瞬間に立ち会えたことを、私は心から誇りに思った。と同時に、この判決を実りあるものにするための、二一世紀に生きる情熱がふつふつと湧いてきた。 きっと、この日、そこに居合わせた人たち全てが、そう思ったことだろう。 アランパーカー監督の映画「アンジェラの灰」見てね! 2001年1月 |
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