Kumiko Report 2001 |
2001年がはじまって、もう4ヶ月が過ぎてしまった。年末年始を、ワシントン、アイルランドにいて、1月末に帰国し、すぐひどい風邪をひいて寝込んでいた。 留守にしていた間の、年賀状や手紙の整理をなんだかずっと引きずっていて、新しい年を迎えたという感激のないまま春になってしまったように思う。けじめがないので、やはりこれから新年は日本にいよう。 櫛田ふきさん逝去 特に、今年に入って悲しかったことは、櫛田ふきさんが2月5日に亡くなられたこと。 それもひどい風邪のため、お通夜にも告別式にも行けず、また青山斉場で行われた本葬にも、大阪で仕事が決まっていたため、出席できなかった。とても無念で、きちんとお別れがしたいと海外に出るのを延ばし、4月14日の納骨には出席できました。 最悪の体調のとき、共同通信から追悼文を依頼され、私自身が櫛田さんにお別れを告げるため書いた文章です。各地方紙に掲載されました。 というわけで、悲しい出来事からはじまったのですが、今は元気です。 また、またドイツ、アイルランド、ポーランドに行って帰国したばかりです。 フランクフルト 私の本「ただの私に戻る旅」の挿し絵を描いてくれた、ヘリーナケリーと5年振りで会いました。 というのは、ヘリーナのダンナ、ポールがデルタ航空のマネージャーの職を投げ打って、フランクフルトでアイリッシュパブを経営することになり、彼女もフランクフルトに移住したのです。ポールは私の本にも書いたけれど、料理の達人で、パブのレシピもつくっているほど。3軒もパブを経営していて、転職は成功でした。 今47歳のポールですが、なんと、31歳、19歳、6歳のそれぞれ女性の違う子供がいるのです。正式に結婚したのは、2番目の女性で、ヘリーナも未だに正式な妻ではないのです。 ヘリーナは、優しい美しい女性で、久しぶりに会って女の友情を固めました。ダンナのパブの手伝いをしながら、絵を描くことに情熱を燃やしていて嬉しかった。 アイルランド 第3回目のアイルランドツアー&コンサートは、北アイルランドに行く企画をたて、「私の愛した街」の舞台デリーでコンサートをするため、訪れました。 私のファンの方々は、こういう地域に興味があるのか、ツアーは4月で、すでに満席になっているようです。 「私の愛した街」の背景については、本でお読み下さい。 また、イギリスを中心に起こっていた口蹄疫で、アイルランドも春の観光シーズンは、かなり打撃を受けたようですが、5月1日をもって閉鎖されていた観光名所も開かれました。私が滞在していたときも、デパートや大学のドアの前に、「口蹄疫のため入室の際は、靴をよく拭って」とはり紙がしてある程度でした。 以下デリーの「血の日曜日」事件の起きた場所の写真です。デリーは3回目ですが、今回は事件の模様を、壁絵にして、国が保存していました。 下の写真は、1972年、1月30日に死亡した13人の人々です。 東京新聞(中日新聞)「本音のコラム」海外からも送っています。 ポーランド訪問は、いろいろお話したいことがありますので、次回なるべく早く、 ホームページでお知らせします。実はこのホームページも、何人からせかされて更新しました。すごく忙しくて、動き回っているのですが、時間がとれなくて、なかなか更新できず気になっていました。それではまた。 2001年5月 |
一覧へもどる |