Kumiko Report 2001


帰ってきました。日本へ。暑いと思ってアイルランドからみなさんに残暑お見舞いを出したのですが、日本は涼しいですね。

残暑お見舞いでにも書きましたが、今年の夏はホットな夏でした。北アイルランドのデリーの城壁の上でツアーの方達30人と「私の愛した街」を歌ったのです。
BBCなどで放映され、街で小学校の遠足に出会うと先生が、あの人がテレビで歌っていた人だよとか、わざわざ近づいてきて握手されるとか、ラジオでもCDが流れたりしました。

また、ベルファーストでは、CNNの取材を受け、私たち「大勢の観光客」は、その夜のワールドニュースで、何度も世界中にお目見えしたのです。寒くてもホットな夏でした。
(写真はデリーでの撮影風景)
日本人歌手の声デリーの空に響く Irish Times August 7

 

幾紙かの新聞に掲載され、その立場によって記事の書き方に微妙な違いがありました。記事の詳細は省きますが、簡単な分りやすい例で言えば、タイトル。 
The Irish Times は「Japanese singer lends voice to Derry air」(日本人歌手の歌声でデリーの空に響く)。アイルランド全土をフォローしている良識派(?)の新聞。
The News Letter は「Oriental focus in London Derry」(ロンドンデリーへの東洋の視点、注目)北アイルランドの新聞。Derry とLondon Derryとの違いが表れていました。
他に、上記の写真「The Star 」は、「Japanese Ballads」(日本のバラード、歌)。アイルランド全土のスポーツ娯楽紙。
デリーの地域紙は「Tokyo Diva」(東京の歌姫、プリマドンナ)など。Irish Timesの英文の記事はインターネット上で読むことができました。

Phil Coulterに会う
帰国直前、またまた、私にとってビックな出来事がありました。「私の愛した街」の作者であるフィル・コルター氏と会うことが出来たのです。

ともかく今回、こんなにアイルランドのマスコミにフィル・コルター氏の「私の愛した街」を歌っている日本人歌手と紹介されたのだから、せめて事務所にでも挨拶に行こうと通訳の美枝子さん(写真左)に電話をしてもらったら、本人が会うというのでビックリ。
Phil Coulter氏は、作曲家、ピアニストそして歌手。ロンドンで活躍し、初期の頃は、エルビス・プレスリーやジョージ・ハリスンやクリフ・リチャードに曲を書き、何曲もUKナンバーワンになっている。現在アイルランドポピュラー界の大御所。だからまさか本人が会うなんて思ってもみなかった。私以上にその存在を知ってい入る美枝子さんは大喜び。

ダブリンから40分位DARTの列車に乗り、駅には車が迎えに。事務所兼邸宅に着くと、真っ白いスーツをきて彼が迎えてくれた。 廊下には、クリントン前大統領との写真や、秋篠宮夫妻との写真(三度来日している)やメダルなどが飾ってあった。
部屋に入るとグランドピアノが。新聞社のカメラマンまで呼んであって、二人で写真をとり、彼は「26年も私の歌を大切に歌ってくれてありがとう」と。彼は、私たちがデリーの城壁の上で歌っているBBCのTV放映をビデオにとっていた。
私は、目の前に本人がいることに感激して、思わず涙。多分、彼も自分の歌を30人もの日本人が、はるばるデリーまできて城壁の上で声をそろえて歌うのを見てビックリしたに違いないと思う。

「私の愛した街」はデリーの聖歌といわれている。現在、北アイルランド和平問題は最終局面にきてつまずいている。今回こんなにアイルランドのメディアが東洋の国からきて日本語で歌う私たちをとりあげたのは、北アイルランド問題が終わっていないということでもある。カトリックとプロテスタントの対立は、私たち日本人から見ると想像を絶する関係にある。しかし、この宗教的対立も元をたどれば、800年にわたる英国の植民地支配の結果であることを忘れてはならない。

第3回アイルランドツアーもすっごく楽しかった!!
今回のツアーは、Aグループは、カップルあり、男性シングルあり、と多様で、南北アイルランドをバスで回り、BBCやCNNのテレビに出るなど、人数も多くエキサイティングなツアーでした。デリーの城壁の上で一緒に歌ったら、新聞に「聖歌隊」と書かれたり、、、。今も続いている南北問題に心を痛めながら、笑って笑って楽しさいっぱいの旅でした。
(←アラン島のダンエンガスで)
Bグループは、女性ばかりでしっとりとして雰囲気の旅で、リマリックの我が家での感嘆ランチパーティでおにぎりをつくったり、ナント、アラン島で全員参加の即席音楽隊「アランズ」を結成しました。アイルランドにきてから買ったアイリッシュフルート、ティンホイッスル、スプーンズ、バウロンなどの楽器とソロ付き合唱隊で、すでに2曲のレパートリーがあり、観光途中もその美しい(と本人達は思っている)歌声で、周りの外国人を楽しませていました。
(←バレン高原の巨人のテーブル前で)
両グループとも大聖堂でのコンサートや、アラン島でのアイリッシュダンス「ラグス」や、パブでのセッションなど音楽も堪能して頂いたと思います。
(←パブでのセッション)


私も時々ファンサイト見ています No.1

アイルランドに行っている間に、Oideさんによるファンサイトができて、インターネットの威力に驚いています。私の知らない(確認していない)足跡をいっぱい追って下さることに驚いているのです。

一番嬉しいことは、これを見ていると私自身がとても励まされるということです。こんなにも私の歌に関心をもって下さる方がいるのだと思うと、とても元気がでます。「ライブ」は消えていくものとして、30年歌ってきましたが、消えていない「何か」をファンサイトで見られることは、本当に生きて、歌ってきて良かったなぁと思うのです。

掲示板に「私の愛した街」や「おいで一緒に」原題「山と川」の原詩について知りたいとあり、私は持っていますが、著作権の関係でHPに掲載できません。是非という方は、コピーをお送りします。

私がニカラグアに122台のギターをもって行ったのは1985年。革命6周年に招待された時です。
カルロス・メヒア・ゴドイ(シンガーソングライター・当時国会議員)も革命記念大集会で歌っていました。ニカラグアへ出発前に「サンディニスタの紅いバラ」、帰国後は「ポコヨの鳴く国から」のコンサートをし、また、ニカラグアからきた「グルーポ・コラール」と全国ツアーを数カ所しました。

思い出して、当時の新聞記事など引っ張り出して見ました。新聞記事はいっぱいありました。私にはまとめなくては、伝えなくてはいけない貴重な体験をいっぱいしてきたのだと改めて思いました。そんな意味でも、掲示板は私に考える機会を与えてくれます。

来年夏はアイルランドのコンサートと併せて、ポーランド、再来年はチリ、ニカラグアでコンサートを予定しています。掲示板にもあったポーランドのことは次回にでも、、、



2001年9月





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