Kumiko Report 2002 |
三重県の小学生・高校生の前で歌う 2月21日、大安町石1小学校、22日、鳥羽高校に行ってきました。大人の前でのコンサートが多い中で貴重な経験をしました。 「歌手の横井久美子さん アフガン救援の歌熱唱 本紙コラムきっかけに交流」、22日の中日新聞三重版の見出しです。写真と共に報道されました。石榑小学校は、2月5日本音のコラムの「2000人の想い」で紹介した小学校です。 偶然、すでに同じ三重県の鳥羽高校から公演の依頼があり、おなじ方面なので寄ってみようと思ったのでした。アフガンの子どもたちのことを知って、自分たちも何かしたいと、全校生徒に訴えたり、ポスターを作ったり、缶やビンを集めたりと、その5年ろ組(いろはのろ組というのも珍しい!)の23人の子どもたちに会いたいと思ったのでした。 ところが、校長先生もせっかくの機会ということで全校生徒323人の前で歌うことになりました。 先生も子どもたちも素晴らしかった。大江健三郎氏に講演を依頼しながら、「日の丸君が代のことは話すな」という高校の校長もいたりするなか、この学校は開放的でした。地域の専門家を招いて綿から糸をつむぐ方法を学んだり、校長先生はじめ、私に最初のファックスを下さった森加奈子先生など、子どもたちを地域と父母と教師と育てようという熱意が感じられ、そうした教育実践が積み重ねらているのを肌で感じました。 私にとっては、こんな小さな人ばかりの前で歌うのは初めての体験でしが、人懐っこく、輝く瞳をもった子どもたちに出会って、この子達がこのまま大きくなってくれたら、日本は大丈夫と嬉しいくなりました。 それにもう一つ、なんと、教頭先生が、私の1972年頃、音楽センターから出したLP「ひろば}を持参されて、サインしてほしいと言われビックリ。長い髪をしてジーンズはいて、ススキの中にギターを持っているジャケット写真を子どもたちに見せたら「これ誰?」っていわれてしまいました。今このLPは私の手元にもありません。 という訳で大歓待された小学校公演でした。 (写真全校生徒の前で歌ったあと,これからもいい歌を歌ってください、とリコーダーを演奏してくれました 写真(全て)/中日新聞・関口威人撮影 さて、翌日は鳥羽高校での「人権講演会」。三年生は卒業で一年生と二年生の300人余り。昨年は、松本サリン事件の被害者の方の講演があったとか。体育館の舞台は使わず、椅子を囲むようにならべ、先生の中に、静岡大の学生のとき私の歌を聴いたという先生が、立派な音響設備を用意して下さって、準備万端。 50分程の歌と話をしましたが、多くの生徒がずっと目をそらし下をむいたまま。他人に興味を示さず、自分のなかにも踏み込んでもらいたくないという雰囲気。石榑小学校でのあのいきいきとした子どもたちから一転。思春期真っ只中の少年たちの心の中がとても気になった。未知の世界や将来の自分に夢を描けずにいる状態を、ほんのちょっとしか彼らの前にいたに過ぎないのだけれど、垣間見たようで悲しかった。現場の先生方のご苦労をこれも肌で感じてしまった。 でも、これも大人の私たちの責任で、大人自身も世界に自分に期待が出来ない状況が、子どもたちに反映しているに違いない。小学生までは、まだまだ、親や地域や先生たちの力でそれでも何とか子どもたちを、この国のゆがみから守ることはできても、すでに大人になりつつある中学生や高校生は、選別され、必要とされていない自分たちの存在が、はっきり分かってしまっている。 50分くらい歌ったり話したりするだけでは、何も力になれないなぁと久しぶりに無力感に落ち入り帰ってきた。でも、翌々日、ある手紙が届いて、「ヤッホー」と叫びたいほど、私の疲れも吹っ飛んでしまったのです。 「突然ですが、どうしても自分の気持ちを横井さんに知ってもらいたいと思い手紙にしました。」とはじまる鳥羽高校1年の男子生徒からの手紙で、ルーズリーフ8枚に高校生らしい小さなきちんとした文字で、その日私の話や音楽で感じたことがつづってありました。 だんだん読み進むうちに、高校1年生にしては、重すぎる家庭の重荷や、不幸な事件を一身に背負って一生懸命生きている姿が赤裸々に綴ってあり、将来は弱い者の味方になる弁護士に絶対なりたい、ともあり胸が一杯になりました。 私は講演で「高校生の時赤面恐怖症だった」と話したのです。そのことが彼には一番励ましになったようでした。 「横井さんの対人恐怖症のお話を聞いて、とても自信になりました。自分もやればできると思うようになりました。今までまだ16年しか生きてませんけど、たくさんの人々に会い、人と実際にケータイなんかではなく生で会う大切さを教えてもらったような気がします」 などなど、彼の感受性の鋭さに私が高校生の時こんなしっかりした文章が書けただろうかと自分を振り返ったほどでした。 例え300人の生徒全体の心の中に入り込めなかったとしても、こうしてたった一人でも、生きて行く上で力になれたとしたら、こんな嬉しいことはない。こういう仕事をしていて本当に良かったなぁと思うのです。 実は、私が歌っている時、これ見よがしに無視するようにけたたましく笑っい続けている女生徒が一人いて、バックの演奏者でもいれば、近寄っていってぶったたいてやろうかと私は怒っていたのでした。バックがいなくてよかった、、、。 という訳で、たった一人の生徒からの手紙で私はすっかり元気になりました。K君ありがとう。 「緊急アフガン集会」 2月6日 これはいい集会だった。私は1曲歌っただけだったけれど、パキスタンの難民キャンプをおとずれた弁護士たちの報告がよかった。 リアリティに溢れていて、立ち見も出たほどの会場の人たちも、スライドを使った彼らの報告に胸を打たれた。特に伊藤和子弁護士の報告は、理不尽なアメリカの空爆に怒りを交え、現場の状況をいきいきと報告されて、私は早速勝手にイキイキラブリー弁護士と名付け、次回4月20日「新宿女塾」のゲストをお願いした。会場では、毎日新聞労組の方がCDを売ってくださり46枚売れました。 「いつか聴いたアイルランド 〜音楽と風土〜」 2月16日 朝日カルチャーセンター立川で公開講座。毎日カルチャーセンターでは、すでに数回しているが、朝日では初めて。タイトルにひかれて参加したした人や、カルチャーセンター側も今期の目玉といって宣伝してしてくださって、遠くから近くから、たくさん集まって頂いた。 講演も入ったこうしたレクチャーコンサートは、テーマがはっきりしていて、普段のコンサートより難しいし、でもだから挑戦のしがいもある。なかにはアイルランドに関しては、私よりよく知っていいる人が参加されているかもしれないし、前にバウロンのプロの方が参加されていたこともあり、ヒヤヒヤする。 でもアイルランドのことを存分語って歌える機会があるのは嬉しい。 「櫛田ふきさん生誕103年 ありがとうふきさんの会」2月17日 ふきさんが亡くなって1年が過ぎた。 櫛田さんの娘さんをはじめ櫛田さんにに心を寄せる人たちが集まった。私はもう歌い始めから涙。皆さんも涙。私たちはなんとたくさんのものをふきさんから貰ったことだろう。人に感謝し、一人一人を大切にすることを身をもって教えて頂いた。 「沈黙は共犯」「平和の綱引き」「私は私らしく」など名言はたくさんある。いつも時代に敏感な人だった。きっと「おなじ空おなじ子ども」のCDも「久美ちゃん忙しいのによくやったわね」と言ってくださると思う。 宮本百合子さんが櫛田さんに贈ったように私も「ふっくりゆるゆる」と、危険な時代に向き合っていきたい。 「東海市男女共同参画フォーラム」 1月20日(日)東海市文化センター 「活かして参画・生きて◯」というタイトルで、男女共同参画をすすめるプログラムの一つとして、講演と歌を。地元の合唱団も素晴らしい歌ごえを披露。 最後は合唱団と一緒に「おなじ空 おなじ子ども」を合唱。 準備段階から丁寧な取り組みで、女性たちのパワーに圧倒されました。その後もアフガンへのカンパを送ってくださいます。 「私もファンサイトの掲示板を読んでいます」No2 掲示板に最近、私がコンサートで話した「ヒットラーの防具」が話題になっていて嬉しい。私は、帚木逢生氏の文庫本は全部読破して、あと残るは厚い本ばかり。寝る時本を読むのが、人生の楽しみだから、厚い本では重いからどうしようかと思っています。 ところで、「ヒットラーの防具」を読むきっかけになったのは「ベルリン1933」(クラウス.ゴルドン著理論社刊2400円)です。この本のファンサイトもあるほどすごい人気。 ファンサイトといえば、フランク.マッコートの「アンジェラの灰」(アランパーカー監督映画)のファンサイトもすごいでしょ。アランパーカーが日本のファンサイトをほめて言及していたくらいだから。私のアイルランドのリマリックの部屋は、その舞台のすぐ近くなのです。 野村證券男女差別裁判にも参加しました 本音のコラム「差別の壁に風穴」を書きましたので、ご覧下さい 3月はディナーショウや川崎おやこ劇場のホールコンサートが続きます。 こういう時は、まず体からと週に2回ほどは体育館に行き、ダンベルやエルゴメーターなどで体を鍛えています。 でも一方で、この時期は花粉症の季節で、私も悩まされています。みなさまもお元気で! 横井久美子 2002年3月 |
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