Kumiko Report 4/7/2002
「本音のコラム」終了。バンザイ!

朝、ウグイスの声で目がさめ、庭の二輪草が咲き始めると春の到来を実感します。
庭の二輪草は、新潟に行った時、根っこから貰ったものを庭に植えたら、毎年増え、美しい白い花を咲かせています。
今年は、黄色いカタクリの花も咲きました。
心が外へ外へ広がるいつもの春に、今年は1999年4月から毎週書いていた本音のコラムが終了し、バンザイ!と叫びたい程の開放感です。

3年間で154本のコラムを書きました。
幸い今までの人生のなかで多くの出会い、いろんな体験もあり、書きたいことは一杯ありました。でも、国外にいる時も、コンサートの立て込んでいる時も、体調の悪い時も、毎週何を書こうかと思案し、書き続けるということは、本当に大変でした。

新聞の切抜きのため、部屋は新聞だらけだし、地方のコンサートが終わっても原稿のためすぐ帰らなくてはならないし、私の一番のストレスの元凶になっていました。いい加減ヤメタイなと思ったりしましたが、こういう社会的に発言する場があるのは、得がたいチャンスと思って続けていました。
ですから「終わって淋しい」と言ってくださる方もいますが、3年間よくやったと自分で自分をほめてやりたいです。こういう言い方をするのは、書くことが専門でなく、シロウトだからいえることですね。

このコラムを通じて、三重県の小学校の子どもたちをはじめ、コラムを副教材に使っていただいた名古屋市の高校の先生など、たくさんの方と出会うことが出来て幸せです。

一昨日、私は、私の住む国立市で開催された「さくらシンポジュウム」の司会をしました。以前本音のコラムで国立市の「桜守」を書いたのですがそのコラムを中日新聞で読んで、興味もち、今回のこの会に参加したという名古屋の方が来ていました。

そういう私の書いたコラムが私の知らないところで広がって、新たな出会いを作っているのは、本当に嬉しいことです。
そして、一番の収穫は、最後のコラム「どこかで春が」で書いたように、コラムを書く作業を通して、私自身の社会を見る目が磨かれたことです。
これは今後、とても大きな私の財産になることでしょう。
このコラムを応援して下さったみなさま、本当にありがとうございました。

3月30日の東京新聞の「ひろば」にとっても嬉しい投稿がありましたので、紹介致します。

「寂しい 『本音』の連載終了」 団体ボランティア 杵淵智子68(東京都練馬区)
「愛読してきた横井久美子さんの「本音のコラム」が今月最終回ということになり、少し寂しい気持ちです。たった一人の女性執筆者だったこともあり、共感しながら読ませていただきましたが、同姓としての共感だけでなく、ジャスト.イン.タイムの社会問題の切り込みは、シンガー.ソングライターとしての横井さんの活動の幅広さ、ダイナミックな感性からくるものか、その”さえ”にひかれるものがありました。ある時はアイルランドから、ある時はポーランドからと、国際的な話題もたくさん紹介されましたが、私は「アネッサクラブ」(12日付)に感動を覚えました。
会津の町で営業するおかみさんたちが、この不況下にあってもめげず、心をよせて新しい工夫をこらし、町おこしに情熱を燃やす姿を描いた文に、大げさでなく「この国は大丈夫」という思いにかられたのでした。結局は、一人ひとりが生きている草の根が元気でなければ国の発展はないのではないでしょうか。引っ込み思案にならないで声を出していこう、と声をかけられたようでした。」




川崎おやこ劇場「おなじ空 おなじ子ども」連続コンサート

3月19、20、22、23日、川崎おやこ劇場のコンサートがありました。
3回目の出演です。私自身、2年ぶりに出演して、川崎おやこ劇場の活動の素晴らしさに、出演者としてだけでなく、この国の子どもたちや日本の文化を考える人間として、とても感激し、また考えさせられました。

その全容を伝えることは難しいのですが、四点、考えてみました。
第一点は、以前コラムにもかきましたが、観客が、子どもから、青年、大人までいることで、「バリアフリーライブ」ができることです。若者文化、子ども文化など、文化が、年齢によって分かれているなかで、世代を超えた人たちが、時間と空間を一緒にする場をもっています。私にとっては、同世代の女性ファンが多い中で、二十代、三十代の若いお母さんや青年がいっぱい私の歌を聴いてくれて嬉しい。

第二点は、「優れた舞台芸術は、こどもの心を豊かにに育てます」という劇場のポリシーを隅々まで徹底させていることです。
これは、アタリマエのことをいっているようで実はとても実践するのは、難しいことです。
なぜかと言えば、この「優れた」ということばをどう捕らえるかが問題だからです。観客が、ノッテ喜べば「優れた」といえるのかどうか、「優れた舞台芸術」とは何かということは難しい問題です。

第三は、サークルが基礎になっている点です。そういう「優れた芸術」とは何かという問題を誰かが、どこかで決めるのでなく、会員が、ステージの「事前」「事後」のサークル活動を通して、大人も子ども青年も、みんなで討論しながら考えていることです。例えば、話し合うにしても、親があるいは大人が子どもにおしつけるのはなく、青年グループと子どもが話し合うなど、いろいろな工夫が見られます。

第四は、観客の質が高いという点です。そのためにも、出演者との「事前交流会」を重視し、また出演者について、いろんな視点から勉強をしています。例えば、あるお母さんから聞いたのですが、私の今年のお正月用に書いたコラム「W杯とコスタリカ」を、小学3年の娘さんが、青年グループと読み合わせして、その晩、お父さんに「日本と同じ平和憲法持っている国はドーコダ?」と、得意そうに聞いていたそうです。今回おコンサート「おなじ空 おなじ子ども」のテーマであるアフガニスタンについても話合われていました。私の音楽や、作品を通して、「横井久美子」という人間を知ろうという作業がありました。

私に関して言えば、春秋楽座のような何の守もられるもののない小さな「素」のライブも、「舞台芸術」といわれる音響照明バンド入りの大きなホールコンサートも、両方出来る歌手になりたいと思っています。ですが、オールスタッフで行う「舞台芸術」は、歌手として、格別な充実感があります。ステージなどの組立て、リハーサルなど時間とエネルギーがものすごく必要ですが、、。

最終日は、アンコール後、幕がおりても拍手が鳴り止まず、幕前に出て私が挨拶して、やっと終わるという盛り上がりでした。
ロビーに出ても、青年が帰らず、また挨拶し、「世界中の愛をあつめて」を皆でうたいました。
握手、握手のなか、ある高校生が、「僕は3回聞いたけれど、3回とも『少年』が、僕にいわれているようで良かった。横井さんが、最後に幕前で挨拶していたとき涙がでそうになった」といってくれました。
私の歌が、生きるうえで力になってくれたら本当に歌手冥利につき、こういう仕事をしていてよかったと思うのです。

また、今回は、特に連続していたので、最終日まで体力や声が持つかどうか、とても心配していました。考えればこんなにホールコンサートが続くということは、草月ホールの5日間連続コンサート以来、15年ぶりだったのです。

ところが、なんと最終日が一番声も出て最高の調子だったのです。この理由は、コンサートに備えて、今年に入ってから週2.3回のペースで、体育館に通い、トレーニングをし体力をつけた結果です。

筋肉は幾つになっても鍛えられる!体重も3キロ減量したし。そして「世界がもし100人の村だったら」をアレンジし、曲を付けてプログラムに入れられたし。というわけで、体力での達成感と、コンサートの盛り上がりが、また自信につながって、今私は、本当に快調な春を迎えているのです。
5月にはまた、同じプログラムで、相模原おやこ劇場が2ステージあり、こうした音楽的な充実感を与えてくれるコンサートを楽しみにしています。

3月は、他にも、2日に、コラム「アネッサクラブ」でも紹介した2回目である会津若松市の「ひな祭りディナーショウ」もありました。9日の調布西公民館での、飛び入りが出るようなびっくりすほど楽しいコンサート。30日には、2年前、ベアテ.シロタ.ゴードンさんをお呼びし、昭島市民会館て1200名をあつめた「ベアテの会」主催の「アフガンの子どもと私たち」があり、ピアノのりゅうさんと出演しました。ベアテさんの集会を成功させた「ベアテの会」の方たちとの再会。そして気持ちのいいコンサートができました。

というわけで、相変わらず、花粉症に悩まされながらとても充実した3月でした。4月は、このコラムを抱えていた3年間の疲れをゆっくり落とそうと思っています。(新聞をかたずけたりという家の大掃除ですが、、)

それでは、春爛漫、自然の胎動から、私たちも日本の美しさを満喫して、日々元気で楽しく生きてゆきましょう。

2002年4月7日  横井久美子

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