Kumiko Report 2002
5月12日、静岡県母親大会3000名参加者の前で歌う!


県単位の参加者では、静岡が日本一と聞きましたが、浜松市内の高校に、朝から続々とつめかける人々に驚きました。
私は2000名近い人たちの前で歌って充実感一杯でしたが、もっと嬉しかったことがありました。
それは、主催者の希望で、私が地域、職場からの報告の司会をし、それを歌でつなぐという新しい試みをしたことです。


自衛隊の富士演習や静岡空港反対、職場の差別などさまざまな発言がありましたが、企画した一人が「夢のよう」という位、参加者と発言者が一体になることができ、その試みは成功しました。ただ残念なことにやっぱり時間の問題でしょうが、私も応援している灰木処分場の問題がクローズアップされなかったことです。でも、ワンパターンのこうした集会を、新しい試みで変えようという主催者の熱意に、音楽家として協力できたことが嬉しいです。
実は主催者の中心メンバー数人は楽座の組員。やっぱり無理難題を吹っかけられる関係。こうした共に作り上げる関係は楽座の財産、とっても嬉しいです。



5月9日/5月13日相模原おやこ劇場コンサート

おやこ劇場でのホールコンサートは、充実感一杯!
劇場側との事前交流会、打ち合わせ、リハーサルと十分時間をかけた横井組オールスタッフの取り組みだからです。その上、3月の川崎おやこ劇場でもご報告しましたが、観客層が次代を担う子どもたち。その子どもたちの感性の素晴らしさ!。
私自身が、この子たちがいれば、日本の未来も安心と、この世に生きるエネルギーを貰っているようなそんな舞台に立てて感謝!なんと、ここでは6月18日、事後交流会もして、「100の村」や「おなじ空 おなじ子ども」「世界中の愛をあつめて」の合唱練習をすることになりました。

以下「空を見る一人の高校生から」というタイトルのメールです。

「初めまして。僕は相模原親子劇場の高校生です。今日のコンサート、とても楽しく
聞かせていただきました。最後の「同じ空 同じ子ども」はCDなどでよく聞きましたが
生の声は凄くパワーがあり、圧倒されました。実は僕が興味を持ったのはそれだけ
ではなく、「もしも、地球が百人の村だったら」も非常に興味を持ちました。こんな曲
のつけ方もあるのかと思いました。ご迷惑でしょうが暇がありましたら自分の歌を聴
いた一人の高校生にと思って送っていただけたら幸いです。どうか、宜しくお願いし
ます。
繰り返しますが、今日のコンサートの歌はどれもこれも全ていい曲ばかりでした。その
曲もさることながら横井さんの歌声は筆舌に尽くしがたい良さがありました。またいつか、
劇場でお会いできる事を心より祈っています。」


もう1つ、特筆すべきこと。
主催者から、横井さんは、私たちの街を歌っている。ぜひ「戦車は動けない」を歌ってほしいと要望。1972年、アメリカ軍相模原補給廠からベトナムに送るM48戦車を、市民が6ヶ月にわたって阻止。この有事法制が議論されるなか、相模原市民が立ち上がった誇りを子どもたちに伝えたいという素晴らしい要望でした。
当日は、1973年のハノイでのライブ録音を流し演奏したのです。その時私は、自慢しました。当時のベトナムでは、ジェーン.フォンダに次いで人気のあった外国人女性です、と。ホントよ!

以下また感想のメールです。

「私は相模原に住む、30代の主婦です。今日、相模原市民会館でおやこ劇場の主催
で行われた横井久美子さんのコンサートに行き、鑑賞しました。ひとつひとつの歌に、
いろんなトークを交え、歌声と笑顔で歌う横井さんのコンサートはとても感動しました。
前半は子育てについて、後半は戦争がテーマで。いろんな意味で興味深く聴くことが
できました。特に、相模原補給廠の戦車の話は、自分が幼心で記憶に残っていたこと
でしたので、30年経った今、私の中で不可欠であった真実が明かされた感じです。
おなじ空、おなじ子供そしてアンコールで歌った歌。子育てしている時に作った曲、みん
ないい歌でした。家に帰ってきて、横井久美子さんはどんな人なのか?知りたくなって、
ホームページを観させていただきました。いろんなところで活躍されて、同じ女性として
母親としてこれからも陰ながら応援してます。
頑張って下さいね。そして、また機会があったらコンサートに行きたいと思ってます。今日
はありがとうございました。」




久美子の大冒険旅行!

といっても日本です。何が大冒険かというと、時間どおりに行くかどうかハラハラで。
5月23日から28日まで、東京以西を旅しました。時刻表を見ながらスケジュールをつくるのが楽しみの一つですが、幹線鉄道以外の「僻地」はなんと不便か実感。

▼23日は、名古屋法律事務所で、2004年コンサートの久美子愛知頭脳集団とミーティング。
もちろんその中心は、輝き隊・愛知のキラキラ星1番の松本篤周弁護士。東京公演より進んだミーティングで感激。

▼24日は、世界に愛をとどけたい福山遊志30人組の春秋楽座。
総ヒノキの保育園のホールで、ゆったりと。
この中川組長は、アイルランド、ポーランドツアーにも参加。東京の女塾にも皆勤。「病人」ながらあとで報告する私の食生活に多大な影響を与えたユニークな人。楽座の組長ってどうしてこうユニーク(奇人変人)な人が多いのでしょう。

▼25日26日は、北松じん肺祈念碑前夜祭と除幕式。


22年前、日本ではじめてじん肺被害を訴え、裁判をおこしたのは、長崎県の北松じん肺訴訟。「人として生きる」というじん肺の映画が完成しましたが、私は「いしずえ」という言葉を思います。最初にノーと言った人たちの勇気と困難。
原告の谷村静野さんは「弁護士に何回ダマサレたことか、あともう一回といって17年も裁判をしてきました。でもダマサレテ戦ってきてよかったです」と最高裁判決のあと、そう言った。


先頭にたって戦ってきた彼女は、この最高裁判決では、時効棄却されたのに、です。そうした人たちも全部亡くなってしまいました。北松じん肺の訴えが各地のじん肺訴訟の引きがねになり、もっと驚くことは、自分たちの裁判が終結しても「北松の会」をつくって、他のじん肺訴訟を応援してきたのです。今でも私の机の右には、谷村さんから貰った葉書が飾ってあります。



▼26日は、日本最西端の五島列島へ。

この列島の奈留島にファンの一人が在住。名古屋の大学で私の歌を聞いて以来、30周年の東京マリオンのコンサートにも来てくれました。
長崎県はキリスト教会が多く、この五島にも教会群が。キリシタンに対する大迫害の凄さは、「牢屋の搾」に代表される。明治元年、政府はあらたにキリシタン禁制を告示し、たった6坪の板小屋に信者200人を8ヶ月押し込め、ひどい拷問を繰り返し、46人が殉教したという。「三年奉公」という明治初年まで100年も続いた女性奴隷制度ともいえる五島藩の悪政もあった。


また、アイルランドで教会はよく見ているけれど、五島で木造の教会ははじめて見たが、その凄い技巧に感動。長崎から、五島に向かう船は、アラン島に向かう感じととても似ていた。五島は日本のアラン島かも。青い海、素晴らしい景色の下には、さまざまな歴史が隠されていた。
27日は、五島列島を出て、船と列車で諫早へ。
諫早に泊って、バスで1時間ほどの小長井町の「みさかえの園・聖母の騎士園」へ。交通の便が悪くたどり着くまで大変だった。
今年7月ポーランドツアー&コンサートをするが、ポーランド人のロマン修道士がいると紹介されらて、尋ねてみた。ロマンさんは20歳の時日本に来て、今年87歳。とても元気。遠藤周作の「女の一生」にも触れられている。アウシュビッツで亡くなったコルベ神父とも日本で2年間仕事したという。


ポーランドで歌おうとおもっている国歌のような「百年生きて」の歌の発音を習ってきた。
7月6日の「旅行説明会」の時みなさんに伝授します。ポーランドの旧市街のひろばでこの歌を日本語とポーランド語で歌って、投げ銭を稼ぎましょう。

その足で、博多に出て、本部が博多にある「ペシャワール会」の事務局を尋ねました。ボランティアで支えているというこの会をぜひ見てみたかったのです。CD400枚分の20万円を事務局長に手渡しました。その場には五島列島の、一緒にロマンさんを尋ねた方も同行しました。

そして、私は、2004年企画の福岡のブレイン原田直子弁護士と会い、福岡からの最終便で東京に帰ったのでした。
私にとっては、コンサート以外で国内を動くのは、ほとんどないことで、どの乗り物にも滑り込みセーフの冒険旅行を満喫しました。



コラム 久美子の美容日記 1 ヘナの巻

実は、健康オタクなのです。健康雑誌を読んでいるだけで、元気になります。

最近、急に自分の顔に注目するようになって鏡を見ています。その理由は花粉症。今年はとくにひどくて、涙が流れ、その涙で肌が荒れに荒れて。この話はこのコラムで後で書きます。それ以前からも体には気をつけていましたが、それをきっかけに、考えました。1年がかりで花粉症を直そうと。そこで、いろいろ質問されていることもあり、私が関心をもっている

「ちょっといいいいかげんな21世紀の美容と健康法」を、披露することにしました。

まずは、髪から。

私の最大の恥部は髪、と若い頃から思っていました。二人目の子どもを生んだあと、急に髪がぬけ、このままハゲになるとおもっていました。ハゲかけたら、カツラをかぶるより、スキンヘッドにしてもいいやと。

10年ほど前、新潟の楽座の副組長が(この人はヨガの先生で、インドにもよく行っている)ヘナを使ってみたらと薦めてくれた。今でこそ、この植物性の髪染めは、どにでも手に入るが、その頃は神戸まで注文したのです。

東京新聞の本音のコラムにも「髪それぞれ」のタイトルで書きましたが、植物Hennaの歴史は古く古代エジプトまで遡る。当時の女性たちは、ミソハギ科のヘンナの枯れ葉でつくった染め粉や、紅花粉をつかって髪を染めていたという。インドではメヘンディとも呼ばれ、古くから伝わる薬草の一つとして皮膚病の予防に使われた。結婚式には、花嫁の手や足にヘンナで模様をかくことでも知られている。市販のヘアダイは、化学工場でつくられている。環境ホルモンの危険を世界中に警告した「奪われし未来」の著者は、商業目的でつくられた化学物質は、8万7千種、そのうちよく使われているものが1万5千種という。これらは、すべて20世紀のはじめには人間の体内にはなかったという。恐ろしいことですね。

というわけで、私はこのヘンナをそれ以来ずっと使っているのです。髪の黒い部分はそのまま黒に。白髪は茶色に。だから私の前の髪の茶色は白髪なのです。何よりもいいのは、髪にこしが出来てつやがでることです。ただし、毛生え薬ではありません。私が「クロワッサン」紙のインタビューで話したら、神戸のお店に注文が殺到したそうです。

私のいちおしの植物性トリートメントです。でも、「髪それぞれ」で、白髪のままの人も美しいです。私のスキンヘッドはもうしばらくお待ちください。では、次回は?

2002年6月

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