Kumiko Report 2002 |
サンドラ・ジョイス来日 私のアイルランドの先生であり、毎年夏、聖メアリー大聖堂でジョイントコンサートをしてるサンドラがお母さんと6月4日来日した。サッカーのサポーターである弟さんがワールドカップ記念に日本の教会で結婚式を するために。 今回の試合で踏まれても踏まれても立ち向かってゆくアイルランドのチー ムの奮闘振りには、日本でもアイルランドファンが急増したにちがいない。これこ そ800年のイギリスの圧制に立ち向かってきた民族魂。 サンドラにはこれぞ日本!と思ってもらえる場所に連れていった。河口湖から温泉に入りながら富士山を見せようと。しかし、富士山は頂上だけがずっと雲隠れ、それだけが残念でした!河口湖の帰りシャムロックに寄り、アイルランドでサンドラの歌を聴いた数人がサンドラと再会しました。 「ベニスの商人」&「この素晴らしき世界」 6月26日、新宿グローブ座でロイヤルシェクスピア劇団の「ベニスの商人」を見た。 ユダヤ人の高利貸シャイロック役を演じたイアン・バーソロミューの素晴らしい演技 に感嘆したが、ユダヤ人問題を考えさせられた作品だった。ラブディ・イングラムと いう若い女性演出家による新解釈のこの舞台は、見ていて一瞬、シェクスピアは反ユダヤ主義者だったのかと思うほどだった。それほどユダヤ人差別、迫害が迫ってきたが、この 問題は、太古の昔、キリスト教誕生の2000年前から今なお続いている現代的テーマなのですね。私の若い友人でユダヤ人の青年がいるのでとても身近に考えさせられた。 この夏ポーランド、チェコにツアー&コンサートに出かけることもあり、チェコの映画「この素晴らしき世界」を岩波ホールで観た。ナチに占領されていた時代の普通の人々を描いた映画だけれど、素晴らしかった。一言で言えば、人間を祝福したくなる映画だ。人間は知恵とユーモアがあればどんな悲惨な状況にあっても人間性を失うことなく生きていけるといういう希望をこの映画はくれた。大国の力の論理に対し、力を持たない小国、力を持たない私たちは、知恵とユーモアを磨くことで、へこたれないパワーが持てるのだと思った。お薦めナンバー1映画です。 7月14日、新日本婦人の会活動交流集会にて歌う 東京神保町の日本教育会館は700人余りの女性で一杯。午前中からそれぞれの活動報告し、フラダンスなど出し物もはさみ、集会最後にコンサート。同じ時代を生きてきた女性たち、ということは同世代ということもあったのか、ツーといえばカーというような熱気で励まされました。でも、保育室に子どもをあずけて参加していた若いお母さんもいて、帰りのエレベーターで「はじめて聞いたけれどよかった」と声をかけられました。 日本全国女たちは元気ですね。 「還住青ヶ島」〜三宅島 もう20年も前、当時、日本で一番小さな自治体といわれた東京都青ヶ島へ行き、歌を作った。詩は、青ヶ島の元村長故山田常道さんの歴史小説「還住青ヶ島」から引用した。 山焼けて生計失い 去る島人の心根哀れ 岩に泣き潮に叫び 命断ちし一百余人 八丈にに情けはあれど 身は浮き草の涙の仮寝 舟つくりからがら帰る 波風強しはるか海原 土をなめ草にに息して したたる水に露命をつなぐ 恋しきは青きふるさと 還住の想いをいつか果たさん 大昔、青ヶ島で起こった噴火を歌ったものだけれど、三宅島で噴火がおき、島民の皆さんが東京各地で不自由な暮しをしいられ、街でのカンパ活動を目にして、最近またこの歌を歌いはじめた矢先、次のようなメールが届いた。 「突然のお便りで申し訳ありません。私は、三宅島に12年前にわたり、 2年前の噴火災害により、現在都内で避難生活を送っている三谷彰と申します。 さて、横井さんの音楽につきましては、大学時代に読売ホールでのコンサートで 初めて耳にし、その後何回か国立の小さなコンサートにも顔を出したことがありました。 青山の草月ホールのコンサートにも顔を出しました。82年に就職してなかなか顔を 出すこともできずに、その後の横井さんの活動についても追いかけることができなく なってしまいましたが、それでも通勤途中の車の中で「赤い椿と青いげんぼし」の テープを聞いていたりもしました。 ところで、お願いなのですが、その「還住 青ヶ島」ですが、メロディは覚えているの ですが、肝心の歌詞が断片的にしか思い出せません。ぜひ三宅島の島民たちに この歌詞を伝えることができればと思っておりますので、大変にお手数ですが、 全歌詞をメールにてご返送いただければ幸いと存じます。お忙しいところ、まことに 恐縮ですが、よろしくお願いいたします。」 5月の相模原のコンサートでの「戦車は動けない」の時もそう思いましたが、このメールを見て、歌にはいつまでも命が宿っていることを実感し、感動しました。 三谷さんはその後、「輝き隊」にも入ってくださって、最近「輝き隊メーリングリスト」で次のような投稿をされました。 「輝き隊・東京 キラキラ星 46番 三谷彰です。 「赤い椿と青いげんぼし」というアルバムの中に「還住青ケ島」という歌があります。 これは、伊豆諸島の最南端の青ヶ島という火山島が天明5年(1785年)に大噴火し、 住民334人が八丈島に避難を試みたにもかかわらず、100人以上が逃げ遅れ、 無事に八丈島に着いたのは202人だったという史実に基づいて、青ヶ島村の村長さん が書いた詩に横井さんが曲をつけたものです。 青ヶ島の住民が島に戻るのは天保5年(1834年)ですから、50年の歳月をかけて 島に戻ったということになります。このことを青ヶ島では「還住」といいます。 舟で逃げる際に、逃げ遅れた人が必死に舟べりをつかんでいるのを、これ以上乗せたら 舟が沈むということで、その手首を鉈で切り落としたというように悲惨な出来事でした。 歌詞の中の「八丈に情けはあれど、身は浮き草の涙の仮寝」という部分は、まさしく 三宅島民のいまの状況そのままです。その「八丈」が、三宅島の場合は3800人 (今は3600弱になってしまいました)の島民が18都県に避難して都内だけでも23区 26市3町3村という状況ですから、まあけっこう大変なわけです。このたび、横井さん にメールを送って、この「還住青ヶ島」の歌詞と楽譜をおくっていただき、私もところ どころで歌っております。 三宅島の災害発生時の状況については、私がつたない文を書いていますので、 もし興味がある方はご一読ください。 http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/00/1/0092420.html 10月11日に武蔵野公会堂で横井さんにもご足労を願って三宅島支援イベントを 企画中です。よろしくお願いいたします。」 三谷さんの情報によると街頭でカンパ活動している中には、三宅島の島民たちとは関係ない団体が自分たちの資金集めにやっているということです。ついカンパしてしまいますが、これから注意しましょう。 歌がきっかけでまたこうした新しい出会いは嬉しいものです。 コラム 久美子の美容日記 2 食生活 前回は、髪のトリートメントのヘナについて書きましたが、今回は体の中からきれいになる食事です。 実は、元気に病気を治しているファンの恵子さんに刺激を受け、私も花粉症を治そうとこの数ヶ月前から玄米菜食をはじめました。恵子さんは、西式甲田療法という玄米も摺って生で食べるという厳しい生菜食の食事療法ですが、私は、その亜流です。 でもスルスルと4キロ減り、体は軽く、頭は鋭く、目覚めもよく快調です。 「アレルギー性疾患の克服」甲田光雄著 創元社 「あなたの少食が世界をすくう」春秋社 「断食療法の科学」春秋社 など数冊読んだのですが、共感しました。 甲田医師は、肉食半減で8億の飢えた人々を救う運動も展開しています。 詳しいことは本を読んでみてほしいのですが、簡単にいえば、現代の人間は欲望に任せて過食、飽食を繰り返し、腸内環境を破壊し、それによって病気を引き起こしている。白米、白砂糖、白パン、動物性たんぱく質をとらず、時々断食し、腸を休ませ、浄化し、穀物や、野菜中心の少食にすれば、病気は治るという考え方です。 さて、そこで私の食生活をご紹介します。一応一日二食主義です。 朝 水酸化マグネシュウム(海水のエッセンス)を飲む。(腸内浄化作用) グレープフルーツを絞り、そこにホーレンソウ、コマツナ、キャベツ、ピーマン、セロリの葉を入れ、ミキサーでグリーンジュースをつくる。 昼 玄米豆ご飯一杯(発芽玄米に、ポロポロしないためにほんの少々白米をいれ、ゆでた大豆と塩少々) 貝などの味噌汁 副菜は以下のものから2〜3皿 しょうがとゴマかけ豆腐 オクラと山芋と海苔の和え物 野菜のおひたしチリメンじゃこかけ ひじきと人参と油揚げの煮物など 夕食前に、レモン、赤ピーマン、人参、トマトのレッドジュースつくって飲む。 夜 昼と同じ、週2回くらい魚 という具合。空腹が快感になってくるのが不思議にいいもんです。 ただ、私の場合は、外に出ること、外食も多く、そのときは完全放棄して、過食、飽食しています。家にいても時々放棄するし、、、。時々真剣に、時々いい加減な食事療法ですが、来年の花粉症の時期までに体質改善できるか楽しみにしています。 2002年7月 |
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