Kumiko Report 2/27/2003
ベトナム報告 1

昨日、ベトナムから帰国しました。
私にとって三度目のベトナムは、新たな怒りと感動と発見の連続でした。

「怒り」は、もちろん枯葉剤の被害を受けた子どもたちを見て渦巻いた『戦争への怒り』。23日、私たちはハノイ市近くの「平和村」を訪れました。
日曜日で施設にいる子どもたちは少なかったけれど、彼らの待つホールに入って涙が溢れた。16歳で1メートル位の背丈しかない女の子、おなじ言葉を発し続ける男の子などなど。


私が、LP「ハノイにうたう」のジャケットを手に、「30年前の私、そして今の私、似ている?」と話はじめると笑顔がこぼれた。「花が好き」を、ゆっくりベトナム語で通訳してもらい一緒に日本語で歌い、バウロンで「ゲンゲンバラバラ」を演奏。ベトナムでは誰でも知っているという歌「君に」を、一緒にベトナム語で。「おなじ空 おなじ子ども」を日本語とベトナム語で歌いました。

アメリカは、ベトナム戦争中、61年から71年まで、7200万リットルの枯葉剤を南部、中部ベトナムに撒き、その中には少なくとも170キロのダイオキシンが含まれていた。枯葉剤の人体への因果関係はまだ充分解明されていない。でも、ベトナム全土で、300万人、子どもだけで100万人の枯葉剤被害児がいるといわれる。

ドイツのNGOの支援によってつくらている「平和村」は現在7ヶ所。米、英、仏、日、独の退役軍人の支援によってつくれた「友好村」が一ヶ所。ここで彼らは、医療処置を受け、リハビリの訓練をしている。病院の機能に併せ、作業室も音楽室もコンピューター室もあった。入所者は、全部合わせて500人余り。もちろん重症の子どもは入所すらできない。


最後に私は、彼らがどれほど理解力があるか分からなかったけれど、「私たちはベトナム戦争に反対しました。でもアメリカは戦争を続け、今こうしてあなたたちに被害が起きていることに胸が痛みます。これからも皆さんが元気になるように応援します。」といった。そう言いながら私は涙が止まらず、その時、「ベトナム反戦世代として、この子どもたち、この被害とずっと向き合って生きていこう」と決意。

昨年夏、英語の先生のグループ「新英研」で「友好村」を訪ねられた阿原先生が、「人類の平和と子どもの幸せのためにもっとも貴重な場所」と友好村のことを言われたが、私も「平和村」を訪ねてそう思った。

私の演奏のあと、子どもたちが日本語の歌とベトナム語のとてもいい歌を2曲歌を歌って歓迎してくれた。この歌については、今後、楽譜を手に入れ、日本の皆さんに伝えたいと思っている。私は、急に思いついて、持っていった私のギターを彼らに送った。


交流の最後に別の部屋で説明してくださった女性の所長さんに、「この被害を世界に伝えることと、リハビリの機器購入などの資金援助のほかに私たちにできることは?」と聞くと、「ここでは私たちは大きな家族のように暮らしています。お金も大切ですが、家族のような暖かさで支援をお願いします」と言われ、参加者一同、また涙、涙。

戦争は「悪事」以外のなにものでもない。戦争は、人間を、命を、大地を、破壊し尽す。戦争は、絶対起こしてはならない。平和村を訪れて、改めて私たちは心に誓いました。


ベトナム報告はまだ続きます。

横井久美子
2003年2月27日

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