Kumiko Report 3/1/2003 |
ベトナム報告 2 21日、午前中、解放戦線が網の目のように張り巡らせ、神出鬼没にアメリカを苦しめたクチのトンネルを見学した後、私たちは、ベトナム戦争を戦った元軍人たちと交流するため、ホーチミン市の「退役軍人の会」を訪れました。バスをおりると、軍服やアオザイを着た人たちが門まで出迎えて拍手の中会場に入りました。 歓迎のご挨拶があり、私は「戦車は動けない」などの演奏をし、ツアーのメンバーと一緒に「おなじ空おなじ子ども」「自由ベトナム行進曲」を歌いました。その後、次から次へ民族音楽や踊りが続き、大変な歓迎を受けました。交流の中で14歳で銃を握ったとか、私のLPのジャケットに自分も映っているとかという話も出ました。 その時、突然駆けつけてくれた人がいました。彼は、1973年、LPのジャケットになっているクワンビンの高射砲部隊で歌ったときの通訳のトゥクさんでした。30年もたってこうして駆けつけてくれるなんて、、、。また、ハノイのオペラ劇場に下見に行ったときも、劇場のマネージャーと話していたら、私のことや「戦車は動けない」を知っていて私は、感動しました。 通訳のフンさんは二人の子供をもつ33歳の青年。彼は、ステレオタイプの社会主義論を振り回さず、でも、中国や北朝鮮などとの関係では、ベトナム共産党の立場を分かりやすく解説してくれる。ユーモアに溢れ、通訳のかたわら100円ショップも経営する有能な現代青年。 その彼が、ハノイの平和村で、子供たちが歌ってくれた歌を訳している時、突然、絶句した。「お父さんは兵士でアメリカと戦った。」 次の歌詞が、涙で訳せない。やっと涙をこらえて彼が訳した歌詞は「でも、私たちはどうしてここにいるの。ほかの子とあそびたいのに」。私たちは、彼の涙に涙した。彼は、自分に子供が出来てから、枯葉剤被害の子供を支援しはじめ、今では、彼の100円ショップの店で子供たちの手作り品を売っているという。 ベトナムはこういうイキイキとした生活欲と正義感に溢れた青年たちが創っていくのだという感動を、私たちはフンさんから受けた。平和村の壁にホーチミンさんの言葉が掛けられていた。「謙虚、勇気、正直であれ」。世襲制度や覇権主義などのいやな社会主義国の情報が多い中、「自由と独立ほど尊いものはない」とベトナムを導いたホーチミン自身の謙虚な生き方がこうして受け継がれていることを感じ嬉しかった。 次のベトナム報告では、世界的な超有名人と会った報告をしますね。お楽しみに。 横井久美子 2003年3月1日 |
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