Kumiko Report 3/16/2003
在日ベトナム大使館でのできごと

先日、ベトナム大使館へ「歌手の横井久美子ですが、来年、ベトナムで枯葉剤被害の子供たちとチャリティコンサートをしたいので、大使館にお訪ねしたいのですが、、」と電話をしたら、出られた参事官より、「あの有名な『センサーウゴケナイ』を歌ったヨコイクミコさんですか」、という返事が返ってきた。

数日後、代々木上原から数分の住宅街にある大使館の応接室に通され、まず私が来年の公演の趣旨を話すと、参事官のカイン氏は次のように言われました。

「貴女は、わが国の独立戦争の勝利に貢献した人です。私は、貴女が1973年、ハノイで歌った時、日本に留学生として来ていました。その時、ハノイの友人が、今、『戦車が動けない』がハノイで鳴り響いている、と伝えてくれました。そのことをよく覚えています。今年は、日越国交回復30周年です。その企画の一つとして、貴女の素晴らしい提案を、ハノイ市、ホーチミン市が受け入れるよう本国に要請します。」

カイン氏は、私が1994年にホーチミン、ハノイで公演したことも知っていて、私は、流暢とはいえベトナム人の日本語でその話を聞いて、胸が一杯になりました。

実は、私は、1973年ハノイを訪れた直後のことを、コンサートなどで次のように言っていたのです。
「その頃、ベトナム人のもっとも好きな外国人女性は、第一にジェーン・フォンダ、第二に横井久美子よ。1972年、ハノイを訪れたジェーン・フォンダは、到着するなり、ベトナムの黒い服に着替え、ギターを弾いて歌いながら、一機でも多くアメリカの飛行機を打ち落としてください、とアピールし、北ベトナムで喝采されました。その翌年、私は、ベトナムと日本の連帯を示す『戦車は動けない』をベトナム各地で歌い、大歓迎されました。その歌は、その後も放送でずっと流され、94年のベトナム公演の通訳の方も、この歌を日本語学校で習ったと言っていました。だから、私はベトナムではとても有名なの。」と。
こんなふうにいささか大げさに、ジョークっぽく話していたのです。(ジェーン・フォンダは、その後、アメリカ軍の抗議で、このハノイでの発言を公の場で撤回)

あれから30年。ベトナムでも、ベトナム戦争を知らない世代も一杯で、もちろん、そんなジョークのような「自慢話」は、日本でも通用しないと思っていた。だから、カイン氏との歓談後、大使館からの帰り道、私はずっと深い充実感で満たされていました。

この30年余、私は、その時、その時、誰に褒められようとか、評価を受けようとか考えず、でも、不正義は許せない!と、あちこち飛び回り、ひとつひとつ、精一杯、行動を積み重ねてきた。そうしたことが今、こうして実っている。
「『私』という人間は、豊富な社会的、人間的かかわりそのものに、現実して存在する」と「ゆるゆるふっくり」で書いたことを改めて実感した一日でした。

来年2月、私自身は35周年企画の一つとして、また、ベトナムとの関係では、日越国交回復30年として、「横井久美子文化交流団」を結成して、ベトナムでの公演を成功させたいと思っています。みなさんも「交流団」の一人として、ご一緒にベトナムに行きましょう!

横井久美子
2003年3月16日

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