Kumiko Report 3/25/2003
山住正己先生

23日、日本教育会館での「山住正己先生とお別れする会」は、先生の教え子たちによる素晴らしく暖かい「お別れ会」でした。私は、林光さんのピアノ伴奏で「音楽教育の会」と「こんにゃく座」が歌うシベリウスの交響詩「フィンランディア」を聞きながら一人泣きました。「どうしてこんな大事な時期に、松井さん、山住先生のような大切な人が亡くなってしまうのだろう」と。

都立大の総長をされていた山住先生は、私の恩人といっていい人です。文化庁の芸術家在外研修員に応募したとき、お願いして推薦文を書いていただきました。多分、高名な先生の推薦がなかったら、私は、難関を突破し合格できなかったでしょう。

山住先生は、昨日の朝日新聞の夕刊の「惜別」でも紹介されていたように、日本の教育学博士第一号で、日本に初めて「市民派教育学」を確立されました。また、「教育は文化である」や「なんでも面白がる精神」で、林光さんはじめ交友も広く、また、教科書、日の丸、君が代問題などをめぐり国家統制に真っ向から反対さた気骨の人でした。

特に、私は、先生の博士論文「唱歌教育成立過程の研究」にとても関心がありました。日本の唱歌教育成立に文部官僚伊沢修二とともにかかわった音楽教師ルーサー・ホワイティングが、ボストン出身であり、唱歌の中に「庭の千草」をはじめアイルランドやスコットランドのメロディが使われていることに大いなる興味を持ちました。日本とアイルランドのメロディの接点はここにあるのではと思っていて、先生にも「もう少し研究すれば」といわれていたのに、私の力不足でそのままになっていました。

都立大の現総長が、呼びかけ人を代表して挨拶をされたあと、私も、「先生に文化庁から留学用の税金を取り戻すお手伝いをしていただて、先生は私の恩人です」と述べたあと、「風のなかのレクイエム」を歌いました。教育の分野で著名であり、先生とも深いつながりのある方々の挨拶のあと、私も先生と親しくしていた一人として歌わせていただいたことは、身に余る光栄でした。

最後の献花の間中、林光さんがピアノを弾かれていました。林さんとは、20周年コンサート以来ですが、その音色の優しさから林さんの悲しみが伝わり、改めて「林光ってスゴイ!」と、敬愛の念がフツフツと沸いてきました。そして、こうして山住先生が、林さんとも再会の機会を与えてくれたのだと思い、本当に嬉しくて心が満たされ帰宅した一日でした。

横井久美子
2003年3月25日

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