Kumiko Report 4/19/2003 |
ペシャワール会へカンパ&アフガン情勢 アフガニスタンの子ども達を支援するCD「おなじ空 おなじ子ども」の発売数が3000枚に達し、昨日、収益のうち15万円をペシャワール会へ送金しました。2001年12月、緊急ということで2000枚までは、40日ほどで達成し、2002年2月に100万円を中村哲医師にお会いしてお渡ししましたが、その後はゆっくりゆっくりです。みなさんのご協力ありがとうございます。 ちょうどその前日、新聞で中村哲さんの福岡市内での記者会見を読みました。 「アフガンをボロボロにしたようなことをまたイラクでやるのか。ぞっとする。米軍のアフガン攻撃はまだ続いている。アフガンは徹底した復讐社会、宗教やイデオロギーは関係ない。米軍は空爆で普通の農民や子どもたちを殺し、人々を屈辱し、彼らの復讐心を増幅させている。だから、今は米国に個人的な恨みが募っている。そのため、米軍は地上に降りてこられない。いつも空にいる。現地の人は、『カルザイはアメリカの人形で、アメリカが出て行けば一日と持たない』といっている」 「アフガンの旱魃はますます深刻になっている。1.2年前にくらべNGOもずいぶん減った。多くは世界的なニュースとなる場所に集まっている。いまでいうとクルド人自治区。ただこれは、今に始まったことではない。88年に旧ソ連がアフガンから撤退した直後には、2、300の団体が現地入り、派手な難民プロジェクトを開始した。だが、91年1月に湾岸戦争がはじまる直前にほぼすべての団体が引き上げた。見事な逃げ方だった」 「先月23日、イラク戦争反対のアフガンでの初めてのデモで、星条旗や英国の旗と共に日の丸が焼かれた。アフガン人はとても親日的で、日本人であることで命が助かったことが何度もあったが、今回の戦争で、日本が米国の追随者だと気づきはじめている」 「バクダット陥落で米軍を歓迎する市民の映像が流されているが、人々は生きるためにはどんな旗でも振る。アフガン東部の田舎町は、今も、タリバンと北部同盟と暫定政権の三つの旗を掲げている。生まれたところで普通に暮らすことができれば、どんな政権でもいい、というのが人々の思い。それすら守れないのが、米国がアフガンにもたらした『自由』の中身です」 とてもとても中村先生の気持ちがストレートに伝わってきました。昨年2月にお会いしたとき「アフガンを流行りにしないで、静かに長く応援して下さい」といわれたことを思い出しました。先日もテレビで、爆撃で両手をなくした少年が手術を前にお医者さんに「手術をすれば両手が返ってくるの?返ってこないなら僕死にたい」とという場面を見た。改めて、戦争への憎しみと米軍への怒りを感じた映像でした。 私がアメリカ大統領だったら、いやせめて日本の首相だったら、こうした子どもを作らない。私がビル・ゲイツだったら、すべての被害を受けた子ども達のために救援金を送りたい。でも、「けれど私にできることはすくない」ので、中村先生のいわれるように、アフガンの子供たちへの支援を息長く続けていきます。どうぞ今後ともご協力下さい。 最後に新聞の「デスクメモ」も気に入りました。 「中村さんは、『陽の当たる場所』を求めるNGOがいる、と指摘する。メディアも同じだ。報道だからニュースの中心にいくのは仕方ない。だが、ずっと忘れられてきた国を、また忘れてはならない。」 横井久美子 2003年4月19日 |
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