Kumiko Report 5/13/2003 |
マルタ・クビショワさん 11日日曜日に、ポーランド・チェコとアイルランドの「旅の集い」をした。アイルランドの集いは、1回目〜4回目まで参加した方も含め、たくさんの方が吉祥寺のアイリッシュパブ「シャムロック」に集まり、ギネスビールを飲みながら盛り上がった。特に、私のリマリックの下宿の大家さんの息子20歳のシェーンが来日していて、花を添えてくれ、ツアーも一杯になりそうな気配。 ところが、ポーランド・チェコツアーは、いまいち参加者が少ない。少なければ中止にしよう!と簡単に口走ってしまう私ですが、今回は、一人でも行く!と決めている。 何故なら、「プラハの春」の時代のトップシンガー、マルタ・クビショワさんとの懇談が実現したからだ。彼女については、NHKBSの「世紀を刻んだ歌 ヘイ・ジュード」で紹介され虜になった。 マルタ・クビショワさんは、1942年生まれ。25歳でカリスマ的な人気を得て、68年8月21日のソ連のチェコ侵攻を目撃し、以後、体制に異を唱える。チェコ語でその想いを託したビートルズの「ヘイジュード」は、人口1000万人の国で60万という過去最高のレコードセールスを果たす。しかし、反体制活動をする彼女は、魔女、ジャンヌダルクと言われ、音楽界を追放され、歌手の道を閉ざされる。仕事もなく、やっと手に入れた内職の封筒張りの仕事すらも当局から妨害され取り上げられる。映画監督の夫ヤン・ネメツ氏が、海外に亡命しても、彼女は、離婚をしてチェコに留まった。チェコの民主化運動の中心で、後にチェコ大統領になるハベル氏が、逮捕された時、彼女は、人々から請われて、ハベル氏の代わりをつとめチェコ民主化のリーダーとなる。 そして、ベルリンの壁にはじまる「ビロード革命」が成功したその日、1989年12月10日、プラハのバーツラフ広場。 朝日新聞の特派員として、その場に居あわせた伊藤千尋氏は記す。 「ビロード革命」を祝う30万人の群集。吐く息も白くなる身も凍るような寒さのなか、人々の歓声に迎えられ白い半袖のドレスで現われた歌手はマルタ・クビショワ。 深いアルトで歌うマルタに、群集は帽子を取り、手袋を脱ぎ、右腕を高くかかげVサインを示した。「プラハの春」以後、20年間独裁体制によって歌うことを禁じられていた歌手が、今、禁じられた歌を歌う。極寒のなか白い手がピンク色に染まり、流れる涙を拭うともせず、30万人のVサインが花のように広場を埋めた。「ビロード革命」の象徴的な場面である。 (人々の声が世界を変えた−大村書店) こういう女性と会えるのだ。「栄光の歌手から翌日には失業者になった」女性に。 「歌を失うことよりも、仕事を失うことよりも、自分を失うことを嫌った」女性に。 「権力は一時のもの、真実は永遠のものと信じ、何よりも自分の良心に忠実であろうとした」女性に。 特に私は、同じ歌手として、同じような選択を迫られた時、果たして私は、彼女のような選択が出来るのかと自らに問う。そして時代は、彼女が選択を迫られた時代と似てきてはいないだろうか。白装束の集団に人々の目が釘付けにされている間に、有事法制や個人保護法案がいとも簡単に採決され、あっという間に時代の空気は一変しそうだ。私たちは体制にがんじがらめにされてしまう時代に生きようとしている。 そうした時代を20年間もマルタさんはどのように生き抜いたのか、何が生き抜く力になったのかマルタさんに尋ねてみたい。 だから、私は、この7月24日〜8月1日のポーランド・チェコツアーを成功させたいと思っている。どうぞ、このツアーに参加して、ご一緒にマルタさんに会いましょう。もちろん、昨年に引き続き、民族音楽やオペラ、またアウシュビッツやリゼッツェ村訪問など音楽に溢れた有意義な企画が一杯です。 横井久美子 2003年5月13日 |
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