Kumiko Report 6/7/2003
6・6を怒りの記念日に

昨日、この国の行方を根底から変える、まるごと憲法違反の有事法制が参議院を通過した。
6月6日を私は忘れない。
6月6日を怒りの記念日にしよう。
6月6日を有事法制発動阻止のスタートラインにしょうと私は思った。

今朝の朝日新聞の一面の政治部長の署名入り記事の見出し、「『脅威』声高に叫ぶよりも」を見て私は錯覚してしまった。有事法制を「脅威」と考え国民が声高に反対するよりも、という主旨と思って、、。錯覚したまま作家の井上靖氏の話題から始まった記事を読み進むうちにやっと、本当にやっと最後になって「脅威」が「北朝鮮」らしい(国名は出ていない)ということが分かった。

私が昨今の朝日新聞の社説「使わぬ道具にするために」(5月16日付)などから錯覚するのは当然だ。だって部長氏は「いざという時、世界でも指折りの装備を誇る実力集団の自衛隊を国会は制御できるのか。政治家に果たしてその覚悟はあるのか」と述べたあと、「有事法制は、戦場と化した街や山野を、戦車が我が物顔走り回るための『フリーパス』であってはならない。」などと言い、最後は「脅威を声高に叫ぶよりも、脅威なるものの実体と冷静に向き合う」ようにといっている。

確かにその通り。しかし、この時期に一面で載せる記事かと思った。この部長氏の頭の中では、もう有事法制は発動されていて、日本は「戦場と化して」しまっているようだ。こうした「使わぬ道具」論法は、ナンセンスであり、矛盾している。何故なら、道具を手にするからその道具を使って具体的にイメージすることができるからだ。アメリカの銃社会をみても、銃を手にしているから、悲劇が後をたたない。

しかし、こうして私が日本の良識派を代表しているとされる新聞に腹を立てているのもオカシイし情けないと思った。
それは、あの新聞だったら、あの出版社だったら、あの政党だったらこうあるべきだ、あって欲しいと批判し、希望することはいいけれど、こうした行為は、批判するだけ、希望を託すだけになりがちだからだ。巨大マスコミを批判し希望を託すと同時に、自分に希望を託さなければと反省した。そして、イラク戦争反対で若者を中心に大きく盛りあっがた「武力で平和は守れない」「戦争で人権は守れない」の草の根の声に希望を託し、私は、何ができるか考えながら、6月6日を有事法制発動阻止のスタートにしたい。

横井久美子
2003年6月7日

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