Kumiko Report 6/8/2003
歌は時をこえて・2つの名曲

最近ライブで、「死んだ男の残したものは」をよく歌っている。ファンサイトの「掲示板」で小言幸兵衛氏が「1965年『ベトナムの平和を願う市民集会』のために谷川俊太郎氏の詞に武満徹氏が作曲しました」とあったが、私もヴォーチェ・アンジェリカ時代(67、68年)に覚え、1969年のソロデビューの時にはレパートリーとして歌っていた。(CD「夫へのバラード」に収録)

それにしても、名曲というのはこういう曲のことをいうのだろう。38年も前の曲が今作られたようにリアリティをもち、人々の脳裏に映像を浮かばせ迫ってくる。もちろん、アフガン、イラクと戦争の映像を私たちが目にしてることもあるが、この歌は、ベトナム戦争という背景があったにせよ、歌詞のなかに事件や地域や国を特定しているわけではなく、「戦争は何も生み出さない」というメッセージを静かに発する。

この歌を鼻歌のように流行歌のように歌って欲しいと武満さんが言われたという話を聴いたことがあるが、私自身は、勝手に、現代音楽の巨匠である武満さんゆえ、クラッシクの歌曲のようには歌って欲しくない、人々が簡単に口ずさんで欲しいという意味だと解釈している。私は、歌曲でもない、鼻歌でもない歌い方をしている。

「私の愛した街」も名曲だ。そして、この歌は、「死んだ男の残したものは」と違い、北アイルランドのデリーの街で1972年に起きた事件や地域が歌詞に織り込まれている。この歌の名曲の所以は、地域や事件という特定されたテーマが、誰でもがもっている自分を育んだ街を愛するという普遍性につながり、グローバルな世界をつくっている。

一ヶ月ほど前、新聞の記事を見て「私の愛した街」を思い出した。

4月29日、イラク・バクダットの西方のファルージャの街で平和なデモ行進にアメリカ軍が発砲し、10人以上が死亡した。近くのモスクで礼拝を終えた群集約200人が米軍駐留拠点の学校に向かい授業再開のために米軍が撤収することを求めたデモだった。「武器を持たぬデモに米軍銃撃」と見出しにあったが、イラク全土制圧後、発砲でこれほど多数の死傷者がでたのは初めてという。

「私の愛した街」を歌うとこのイラクの事件を思い出す。31年前の事件が、歌が今の時代によみがえる。
この歌は、今ではHOLY SONG(聖なる歌)とデリーでは言われている。また、デリーの事件現場には、大きな壁画がいくつも残され、タワーミュージアムでは、この事件のビデオを上映し、最初に書かれたオリジナルの楽譜も展示されている。それにしても、こうした事件を「歌」という方法で記録したからこそ、私たちはその事件を知ることができた。イラクのファルージャの街の事件も、誰かが歌という形で残したら、また、それが優れた歌だったら、歌は歴史の証人として、米軍の非道を告発し続けるだろう。歴史の証人ともいえる長く歌い継がれてきた歌は、多くは名曲でもある。

「死んだ男の残したものは」と「私の愛した街」は、詩のテーマに対するアプローチの仕方は正反対であっても、何よりも美しいメロディに支えられて、今を生きて私たちの心に迫ってくる。名曲の所以である。歌は時をこえて。

これから杉並30人組の春秋楽座に出かけ、これらの名曲を歌います。

横井久美子
2003年6月8日

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