Kumiko Report 6/17/2003
原点に戻った春秋楽座

春秋楽座 北・足立30人組15日、「夢が好き平和が好き北・足立30人組」主催の楽座があった。会場は東京北区の「北トピア」という大きなホールのリハーサル室。主催者は、狭くて30人も入るかしらとずいぶん心配の様子でしたが、感動したことがいくつかあった。出足も良かったのだけれど多くの男性も含めた35人の参加者全員が10分前には着席。会場の大きさと人数がうまくマッチして、お互いの息遣いが感じられ、反応もストレートでとてもいい雰囲気になった。

休憩では、「越後紅30人組」の組長手作りの新潟から送ってもらったケーキが出され、藤沢貞子輝き隊代表の挨拶もあった。そこで藤沢代表が「今日は春秋楽座の原点に戻ったようね」と言われた。「春秋楽座」の発想は、私が燃え尽き状態でアイルランドを自転車で横断した『ただの私に戻る旅』の最後の飛行機の中で生まれた。

「アイルランドの旅は捨てる旅であり、拾う旅であった。私は自分を捨て、自分を拾った。職業からも年齢からも国籍からも自由になり、等身大の自分を発見し、自分を許し愛せるようになった。もう、生きていくのに何もいらない。何もなくても生きていける。『わずかな友と自然と歌』さえあれば。それが、私の最後に残ったものだった。〜日本へ帰ったら、人間がまとっているものにとらわれないで、一人ひとりの”こころ”と向き合って生きていきたいと思った。明日からその道を歩き、たくさんの人に出会っていこう。」(ただの私に戻る旅179頁)

春秋楽座 北・足立30人組飛行機のなかでそう考えた私は、この想いを「春秋楽座」として実現したいと、3つの特徴を持ったこの企画を各地のファンの方に提案した。
1、何年か継続する。−イベントして私の前を通り過ぎていくのではなく、毎年春、秋にはこれから出会う町や人たちと継続して付き合っていきたい。
2、人数は40人未満。−オーストラリアの先住民族アポロジニの「集団として成り立ち、且つ一人一人が分かり合える人数」にヒントを得て。
3、団体主催はしない。ー組織や所属を離れ、異業種、異年齢の人が集い、まず自分が楽しみ元気になる場を。

そして、その地方の特徴を表す30人組の名前をつけてもらい、出演料も交通費を含み全国同一にした。参加者の上限を決めたこの世にも稀な(?)奇妙な楽座に各地のファンの方が手を挙げてくれた。再出発の私は、これには本当に励まされたのです。
彼らは今でも私の友人であり大きな財産で、新潟の「越後紅30人」のように、一年に春、秋と主催してくれて、今年の秋で12回目になる楽座も現れた。そして、生の声でどんな場所でも歌うということで私は歌手としても本当に鍛えられたのでした。

春秋楽座 北・足立30人組このところ楽座の参加者が増え、それはそれでいいと思っていた私ですが、今回北・足立30人組に出演して、出発したころの原点の良さを再認識した次第です。生の声で、人数限定で、異業種異年齢の人の集う横井久美子と組長との共同作業による「春秋楽座」は、私の一般の依頼された団体主催のコンサートとはまったく違うライブです。私は、どんなところでも同じような歌を一生懸命歌いますし、大きなステージも大好きです。でも春秋楽座は、私の歌にそれほどの違いがなくても、小さな会場と息遣いの感じられる参加者が、「生きている私たちはみんなステキ」と感じられるライブをつくるのです。原点に戻った春秋楽座をありがとう。会場に飾られた紫陽花の花がきれいでした。

横井久美子
2003年6月17日

KumikoReport Index HOME