Kumiko Report 8/13/2003
帚木蓬生を読む

帚木蓬生の最新刊上下2巻の「国銅」(新潮社)を読んだ。
実は私は精神科医で作家の帚木蓬生(ハハキギホウセイ)の大ファン。

きっかけは、ナチが台頭し、ヒトラーが首相になる前後のドイツ、ベルリンの町の様子を15歳の少年を主人公にして書いたクラウス・コルドン著「ベルリン1933」(理論社)を読んで、ヒットラーを生み出した時代に興味を持ったからだ。ヒトラーの「我が闘争」の次に手にしたのが、帚木蓬生の「ヒトラーの防具」。これではまってしまった。

だいたいがミステリーやサスペンスものは大好きで、松本清張から始まって古いところではカトリーヌ・アルレーやアガサ・クリスティやロアルト・ダール、新しいところでは、パトリシア・コーンウエルまで。彼女がデビューした頃は、もう次の作品が待ちきれないほどだったなぁー。今は残酷場面が多くて食傷気味。

帚木蓬生の描く世界は広く、深く、何よりも人間への視線が暖かい。現役精神科医でありながらあまりその職業でコメントなどしてシャシャリでてこないのもいい。

賞もたくさん受けている。強制連行された男をとおして日韓史の深部を描いた名作『三たびの海峡』では、吉川英治文学新人賞。精神科病棟で生きる人々を患者の視点から描いた『閉鎖病棟』では、山本周五郎賞。「戦犯」の落胤をおされた男をとおして「国家と個人」を描いた『逃亡』では柴田錬三郎賞を受賞している。

その他にも、ノーベル賞の内幕を書いたサスペンス『賞の棺』とか、パリからピレネーへと細菌学者のなぞの死を追ったサスペンス「白い夏の墓標」など、私は、彼の作品はほとんど読んだ。数冊はまあまあという本もあったが、これがファン心理か、ほんんど彼の本を読破して読む本が少なくなってくると無性に寂しくなるのだ。

私は読書家としては不届き者で、読むのにも持つにも便利なので文庫本しか買わないのに、この『国銅』は、もう待ってましたとハードカバーの上下2巻を買ってしまった。

『国銅』は、1250年前、奈良の大仏を作った男たちの物語。「名もなき使い捨ての人足がいたはずだ。どうしても描いておかねば、、」と着想から10年という大作。私はファンだから良かったけれど、率直にいうと、初めて帚木を読むという人は別の本を薦める。読んでそう思った。

帚木蓬生は、大仏建立を描くことでまたまたとても人間の深い所に踏み込みこんだようだ。「そなたらが大仏を鋳込んだのだとすれば、そなたたちも仏だ」「自分の仏を持て」というラストシーンに読者を導いてゆき、哲学的な命題を突きつける。
大仏開眼供養会で高僧の読経のような講話を大仏殿の梁の上で耳にした主人公が考えながら問う。

「一があってこそ二がある。二があってこそ三がある。となれば、一のうちに既にもう二も三も十も含まれているのだ。逆に、八にも九にも一や二が宿っている」
「一の中に十がふくまれ、十のなかに既に一が含まれている」
「十も一であり、一も十だという。そうするとありとあらゆるものが繋がって別々だといえなくなる。善のなかにも悪があり、悪の中にも善が入り込んでいる。それが本来の万物の姿なのだ。」

読後また、帚木蓬生の読む本がなくなってしまって寂しい。

私は明日からアイルランドツアー&コンサートに出かけます。日本の暑い夏、お元気でお過ごし下さい。

横井久美子
2003年8月13日

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