Kumiko Report 9/8/2003
日本ケルト協会での講演

昨日、福岡の日本ケルト協会の定例会で「アイルランドに魅せられて」という講演をしました。
今まで朝日や毎日のカルチャーセンターで「いつか聴いたアイルランド〜音楽と風土〜」というような音楽と講演を何度もしたことがありますが、こうした「横井久美子」という魅力ではなく、「アイルラント」という魅力や興味で集まってくる人たちの前で話すのは、いつも別の緊張感があります。

ただ、今回は、来年の「歌にありがとう」の本の出版の原稿書きをしているのでよく(?)準備をして臨みました。普段のコンサートは、2時間で22,3曲歌いますが、今回はその三分の一でしたので、いかに話をしていたかお分かりでしょう。



以下昨日の進行です。

♪私の愛した街
第一のアイルランドと私の接点の歌。この歌を聴いたベルリンのこと、歌の生まれた歴史的背景と、「血の日曜日」事件。毎年デリーに行っているので街の様子。新聞、テレビ、ラジオでの出演など。

♪アイルランドの子守歌
みんなに歌ってもらい、次にデリー出身の神父さんを見つけソロで歌ってもらう。拍手喝采。

「ただの私に戻る旅」
第二の私とアイルランドとの接点。 「燃え尽き状態」の私を連れて、自転車でアイルランドを横断し、アイルランドの大自然や人々によって再生できたことを話す。

「Sean−Nos Singing( シャン・ノース シンギング)」
第三の私とアイルランドの接点。文化庁芸術家在外研修員としてリマリック大学で学んだ「シャン・ノース」の説明。無伴奏、ノーリズム、ゲール語で歌われるアイルランドの口承的歌唱。エンヤをはじめとすべてのアイルランド音楽の根底に現在も見え隠れしている伝統的な歌。
その例として
♪「はかなき恋」
ケルト語の歌として
♪「ケルトの子守歌」で♪「デインドンデデロ」 ケルト語を練習しみんなで歌ってもらう。

♪「庭の千草」
この歌が、1882、明治政府によって作られた初めての音楽教科書「小学唱歌集」に入っていた理由。アイルランドから直接ではなくアメリカのボストン経由で日本にわたってきた話。アイルランドの飢饉、移民の話。

♪「よみがえれ我が大地」
1802年に破壊されたキルカッシュ城に対するこの歌は、森林と樹木の破壊、イングランドによるゲーリック社会の崩壊の象徴の歌として今も歌われていること。
みんなで覚えてもらって歌った。

♪ダニーボーイ
「ロンドンデリー・エアー」といういうのは、単にロンドンデリーで採取された歌という意味で、このメロディには80から100もの詩があること。1910年にイングランドの弁護士ウエザリーが「ダニーボーイ」の詩をつけ、特に、ハリーベラフォンテによって50年代に広まったこと。
それに加え、私は、この歌は、、1916年の独立を目指したイースター蜂起、1914年の大一次世界大戦開始、1922年、北部六州を残し、アイルランドが、アイルランド自由国として、独立したという世界中が戦争の予感におびえていた歴史的背景を話す。

とこれで、質問はありませんか、と問い、なかったので、「人生のはじまり」「風の中のレクイエム」を歌って、The End」でした。

終わってから交流会があり、「シャン・ノース」の話は、難しくて参加者の方はつまらないかなと思ったのですが、とても好評でした。
また、デリー出身の神父さんからは、「『私の愛した街』は、日本語で出た頃からフランス人の友人から教えられ知っています。東京のうたごえ喫茶にいくとこの歌が、リクエスト第一位になっていて、自分の街のことだけれど、自分歌われているようで感激しました。この事件は、小さい頃だったけれど覚えていて、本当にぴったりのいい日本語歌詞です」と褒められました。その上、『おいで一緒にinくにたち』にも参加したことがあるといわれびっくりしました。
また、当日は、「ああ、これが新聞で宣伝さていた新しいCDね」といって「VIVA KUMIKO」が売れたり、、、、。
「横井久美子」初体験という人がほとんどの会ではありましたが、「どこに行ってもファンがいるんだなぁ。こういう人たちの心に残り35年歌ってきたんだなぁ」と、私は、しみじみ、ヒタヒタと喜びに満たされて羽田行き飛行機の人となったのでした。

横井久美子
2003年9月8日

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