Kumiko Report 9/19/2003


ベトナムフェスティバル


今日、日越国交関係樹立30年を記念するフェスティバルが日比谷公園で行われました。
私は、ベトナム大使館から2曲うたうように依頼されて出席しました。ベトナムからは副首相や駐日ベトナム大使、日本からは山崎拓自民党幹事長や外務省副大臣など両国の要人多数が出席。山崎幹事長の挨拶の時は、両側にSPが目を光らせちょっと物々しい雰囲気でした。

両国のご挨拶のあとテープカット。その後、ベトナム民族歌舞団の歌や踊り、ファッションショー。次が私でしたが、ナント日本人の出演者は私だけ。現在のベトナムには、一杯日本人の音楽家が公演に行っているはずなのに、日本代表!というような扱い。

私は、ベトナム民謡「竹のように美しい」を歌いながら、「30年前、戦争中のベトナムで歌い、30年たってこうして日本で行われるベトナムフェスティバルの舞台で歌うことができて、涙が出るほど嬉しい」と言いました。今は、政権党である自民党の要人たちが挨拶していても、「アメリカはベトナムから出て行け」と支援してきたのは私たち。会場には、長年ベトナム支援をしてきた人の顔もチラホラ見え、私はそうした方々全部の代表で歌っていると思いました。

二曲目の「浜千鳥」は、出席した日本人に声をかけみんなで歌いました。ベトナムではみんなで声をあわせて歌うというスタイルがあまりなく、副首相や大使が一緒に歌っている日本人を嬉しそうに見ていたのが印象的でした。また、歌舞団はただ演奏するだけなので、舞台に出て歌いながら話すという私の出演は、とても印象に残ったようでした。

セレモニー終了後、「貴女が73年に『戦車は動けない』を歌ったのを知っています」と、副首相の随員らしき人に声をかけられました。名刺を見たら、ベトナム外務省の日本担当の方でした。


   ベトナムの副首相と

   日本担当課長と
枯葉剤被害の子どもたちのことは、アメリカとの関係もあり、ベトナム政府は微妙な立場をとっていると聞きます。昨年の経済成長率が7パーセントとという驚異的な経済発展を遂げているベトナムは、アメリカも日本も、ベトナムとの経済交流、ビジネスチャンスを狙っています。ベトナム経済の発展をベトナムの光の部分だとすると、枯葉剤被害の子どもたちは、ベトナムの影の部分です。光によって影を救うのが、本来の政治です。

現在、枯葉剤被害の子どもを救っている、ベトナムの7つの「平和村」は、ドイツのNGOの力によって出来た施設です。最近の、イラク戦争に関する国連でのドイツの発言とか、また、環境教育とか、ドイツってすごい底力を持った国だと感心しています。
日本の私たちの力は、まだまだ小さいと思いますが、少しづつ草の根の支援を続けていきたいものだと、また新たにベトナムフェスティバルに参加して思いました。

横井久美子
2003年9月19日

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