Kumiko Report 12/1/2003
筑豊、新潟と駆け回る

28日、筑豊医療団20周年記念に出演のため福岡へ。田川市の角銅弁護士、飯塚市登野城弁護士、直方市の吉村弁護士という「筑豊鉄のトライアングル」の弁護団に大歓待していただきました。
翌日の第一部は、記念講演があり、そこでスモン訴訟が1人の医者をどう変えたかという本庄康医師の話を聞き、私は涙。
本庄先生が、原告患者の立場に立ってスモンの弁論をされ、福岡判決を聞かれたその前夜、1975年11月、私は、初めて「ノーモアスモンの歌」を、東京の弁護士会館で歌ったのです。

第二部は、挨拶や琉球舞踊、合唱などいろいろありましたが、安達元彦さんもご一緒でした。2枚目のアルバム「おいで一緒に」の「筑豊の子守唄」を一緒に歌っている男の人は誰?と、ときどき聞かれますが、それが、安達元彦さんです。それで、25年ぶりに「筑豊の子守唄」を共演しました。安達さんは、音の高さが私と違うので、さすが作曲家、突然違うメロディを歌いはじめました。この歌の作詞家の大野隆司さんも一緒に歌いました。

翌日は、飛行機で福岡から新潟へ。前夜も二次会があり、朝、5時におきて、1時間程タクシーにのり、飛行機にのり、また、タクシーにのり、とユレユレの感じが続き、さすがの私も疲労困憊。

新潟県の女性達の記念総会会場に着くと、演台の上にマイクがあるだけで、歌用のそれらしきマイクがない。「ワイヤレスはあります」という言葉に、「ギター持ってワイヤレスでは歌えないでしょ」と、いささか疲れ気味の私は、ムッとする。

そんなこんながあって、結局ギターマイクなしで、ボワビワの音のするマイクを使って破れかぶれで歌ったのです。ところこれがまた、よかったのですね。私は、自分でもあきれるぐらい逆境や土壇場に強く、大喝采でした。

これはこれでよかったのですが、恐ろしいのは、マイクがひどくても、また、なくても感動的なステージが出来ると思われることです。
新潟は、来年6月27日に記念コンサートがありますので、音響、照明バッチリのコンサートをして驚いてもらうつもりです。

福岡も新潟も、素晴らしい人達にたくさん出会え、涙し、普段の何倍もの人たちに会った3日間でした。その日は、CDもたくさん売れて、気持ちよく、夜7時頃、上越新幹線にのったのですが、考えると、朝5時には、福岡にいて、新潟で歌を歌って、今、東京にいると思うと、なんだかドッと疲れが出てきました。
というわけで、12月に入った1日目の本日は、雨も降っていたし、疲労困ぱいの一日でした。

横井久美子
2003年12月1日

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