Kumiko Report 12/24/2003
東京、尼崎、名古屋コンサート

各地で新しい楽しい出会いを続けています。
アビィーファールドってご存知ですか。12月18日、NPO日本アビィファールド日本協会の主催で、「横井久美子と自分らしく生きるために」というコンサートが、北沢タウンホールで行われました。
アビィフィールドとは、高齢者の小規模グループハウスで、ボランティアの支えのなかで高齢者が4.5人で自分の家のように暮らすことを目指しています。発祥は英国で、日本では、はじまったばかりです。

コンサートの1部では、アビィフィールド協会の紹介があったのですが、私自身もとても興味をもちました。
現在日本でも、介護保険制度ができ、一見高齢者の介護が、充実していそうにみえますが、話を聞いてその逆に進んでいるのだと思いました。
日本での高齢者介護は、すでに施設があって運営側がすべてを決め、入居者は受け入れられる側であること。それは、危険を極度に回避するシステムで、老いを促進することにつながること。利益追求の構造であることなど、いってみれば、人間としての尊厳を損なう構造になっている。なるほどと思いました。
日本アビィフィールド協会は、世界で13番目にできたそうですが、アビィフィールドインターナショナルのパンフレットには次のような文章がのっています。

「長年暮らした自分の家から、他人とともに暮らす生活に移ることはなかなか勇気のいることです。容易なことではありません。アビィフィールドでしたら、ほんの少しの勇気でそれができるのです。ドアを開けたその瞬間に、ほら、いたわりあえる仲間、食事をともにする人たち、自分の使いなれた家具が置かれた個室、くつろげる気分、そうです、もうここはあなたの家です。私はここへきて親身な世話をしりお互いのきづかいを感じています。再び家族のいるような、、、。」

NPO日本アビィファールド日本協会のめざす目標は、とても崇高です。「個」の確立が遅れている日本では、いろんな困難があると思います。でも、「自分は自分らしく生きたい」という願いは、人間として当然の願いです。この会の発展を祈りたいし、この協会の存在を、音楽を通して知ることができて私は、とても嬉しかったです。当日は、照明も音響も私のスタッフが入り、とても素敵な舞台になりました。

12月20日は、尼崎で山口やすのりさんが主催する「オヤジースと尼っ子30人組」の春秋楽座。着いたところは、プレハブといおうかバラックといおうか医療生協の集会室。私が開口一番「今まで、あの法然院や東寺や教会や能舞台でやったけれど、こんなバラックは初めて」というと、ドッと笑いが。尼崎の人って明るいですね。猥雑さと緻密さと豊かな感性が混在している不思議なところです。この会場を何とかしようと、みんなでモップがけをして、椅子を運び、タピストリーを飾り、その上会場を少しでも華やかにと、着物を着た女性が4.5人前の席に。開けっぴろげでものすごく反応のいい、感動的な楽座でした。

二次会も三次会も終わって、その夜名古屋で泊まる私を、十数人の人たちが、夜の寒い中、外に出て、握手握手でさようならでした。私は、一人、新幹線に乗って、このいいようのない感動は何だろうと考えてしまいました。多分、これは、この楽座を主催した山口さんの地道な努力と人柄だと思ったのです。彼は、長年私の歌のファンだったそうで、輝き隊を一人づつ一人づつ増やし、30人になって楽座開催を決意。それも私を知らない人に私の歌を紹介しながら、、。チケットは、久美子グッズのハンカチで。こうした努力の上に、彼自身が「オヤジーズ」を作って、「歌声喫茶」などで歌っていて、みんなに愛されている人なんだと思いました。もう一つ加えれば、組長の大道さんはじめここの女性陣は、革新民主の白井文尼崎市長を生み出した中心メンバーだったことです。ポーランドに一緒に行った関西3人組の方たちも参加してくれて、うーん、やっぱりいいコンサートは、小屋ではなく、人間がつくるのですね。

12月21日は、私のふるさと緑区鳴海町の「ゆるゆるふっくり緑30人組」の春秋楽座。組長の兼松さんや井川さんは、この2月ベトナムツアーにご一緒しました。鳴海コミュニティセンターの会場には、そのときの写真や、枯葉剤の被害児を救うためのカレンダーの販売やカンパの訴えもありました。


この楽座の圧巻は、会場作り。この小規模のコミュニティセンターは、それはきれいなのですが、そこにトラックで写真のような観葉植物や鉢をトラックでいくつも持ち込んだのです。私のふるさとは鳴海絞、有松絞りで有名なのですが、地元の染色家の下村さんが協力してくれて、会場のレイアウトも。なんでもきれいな布地でくるんで無機質は部屋をあったかい素敵な会場に変身させてしまいました。参加者には、絞でくるんだ栞を一人一人に。こうした楽座にかける熱い想いはきっと参加された方に伝わったことでしょう。ちょうどよい広さで、私はふるさと鳴海でとても気持ちよく歌えました。その夜東京に帰ったのですが、この二つの楽座を終え、疲れもなくルンルンで帰宅しました。

尼崎、鳴海の皆さん幸せをありがとう。今年はあと、27日のライブで終わりです。お元気で。



横井久美子
2003年12月24日

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