Kumiko Report 2/10/2004 |
京都、愛知、岐阜、動き出してます! 7日朝、5時半に目覚ましをかけておいたのに、目がさめたら6時45分。もう新幹線には絶対乗り遅れると思いましたが、5分で用意して顔も洗わず家をあとに。でも、予定どうり8時3分発のぞみにセーフ。11時からFM「京都三条ラジオカフェ」の録音。毎回、CDをかけて弁護士をゲストにトークという企画で、その日のゲストは、京都のコンサートの度に、必ず花束を持ってきてくださる中島晃弁護士。中島弁護士は、最近では、薬害屋ヤコブ病の大津訴訟の弁護団長をされていて、2年前、全国に先駆けて、国と製薬会社の責任を追求する画期的な裁判所所見を勝ち取った方です。スモン訴訟の頃のお話からはじまって、ベルリンの音楽祭のライブ『WE CAN STAND』という水俣病の歌を聞いて、こうした原告、患者から私たちはどれほど多くのものを学んでいるかというお話しをしました。 録音終了後、その足で、翌日が投票日という京都市長選の応援。もうすでに昨夜結果が出て残念なのですが、京都府立大の学長であった市民ネット選出の広原もりあきさんの応援をしました。広原さんは、都市計画のご専門で、阪神大震災のあとの神戸の街づくりに参加され、この「街づくり」という言葉も、広原さんが生み出した言葉というほど街づくりの第一人者です。わが国立市長も田中康夫知事応援し、世界に誇る文化都市京都を十分に任せられる人だったのに、なんと投票率が38パーセントで本当に残念でした。 そして、京都から名古屋へ。その夜は、「ひとこと」にもすでに投稿のあった愛知コンサートの主催の一つである「緑区はらかの会」の結成総会。緑区は私の出身地で、「緑区はらからの会」は、ナント50年も前の私の中学時代の同級生が中心の会なのです。こうした会は、世話役がいるかどうかで機能するかどうかなのですが、私たちの同窓会は、「ひとこと」投稿者のような有能な人がいるのです。2年前に、彼らが主催してくれた緑小劇場でのこけら落とし「横井久美子のふるさとライブ」は、代金を返して帰ってもらうほどの大成功でした。今回も、11月13日の愛知コンサートに向けて、緻密に計画が練られていました。終わったあとも、飲みながら「あの時、A君、あの人が好きだったでしょ」みたいな、50年も前のローティーンの頃の、知らない人が聞いていたらバカか、というような話で盛り上がりました。いいよね、中学時代の頃の話は、ギトギトドロドロしない淡い恋心の話で。 翌日は、全国コンサートのトップを切る岐阜のコンサートを成功させる春秋楽座。ちょうどコンサート3ヶ月前ということで、素敵な「コンセプト」という会場で主催者の中心メンバーが勢ぞろいで盛り上げてくれました。新しい顔がいっぱいで、特にこれもまた「ひとこと」に入っていましたが、前日、加藤周一さんの講演会でチラシ撒きをしていて来てくれた親子が、一番前の席に。10歳ののぞみちゃんが、一人で「花が好き」を歌ってくれて、ついでにお母さんも。のぞみちゃんのおかげでとってもいい雰囲気になりました。休憩に手作りのおいしいマドレーヌが出て、2部に。歌いたい歌はいっぱいだったのですが、私は後片付けをしながら最後の挨拶を聞き、岐阜放送へ。「らんらんサンデー」の生放送。そこでCD「手紙」をかけてもらって、5月8日の宣伝を。河村アナウンサーから、「ぜひファンの方からのリクエストをお待ちしています」といわれて、こうしたマスコミにアクセスする方法が、随分身近にあるのね、と、ご一緒にスタジオまで来てくださった方々と。意外と「横井久美子の歌」は、岐阜あたりからブレイクするかもしれません。 京都、愛知、岐阜と駆けずり回った2日間でしたが、それぞれのコンサートの動きの手ごたえを感じ、私はとても満足して東京に帰りました。 明日は函館です。「第38回、2・11を考える市民集会」主催の「函館から日本へ世界へ平和を歌い35年、横井久美子さんを迎えて」というタイトルで歌います。 函館は、35年前の3月、初めてギターをもって船で津軽海峡を渡り、演奏活動を始めた思い出の地です。35周年記念全国ツアーをしているこの時期に呼びかけられて歌うことができて嬉しいです。 横井久美子 2004年2月10日 |
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