Kumiko Report 3/30/2004 |
ベトナムから帰ってきました
28日ベトナムから帰国しました。 23日、ベトナムのハノイに到着し、翌日、皆さんから頂いた枯葉剤被害児のためのカンパをもって、ハノイ市にある平和村を訪れました。 今回、ツアーが鳥インフルエンザのため延期になったことをお詫びし、再会したフン所長に、必要なものを尋ねると、「ワイヤレスマイクが欲しい」ということでしたので、一緒に街に買いに行きました。7月の平和村の庭での野外コンサートについて打合せもしました。とても、皆さん楽しみにしていました。また、ハノイの大きなホールでのコンサートの話しもでました。
25日、元厚生大臣で現在、「ベトナム枯葉剤被害者の会」の副会長のグエン・ツオン・ニャン(NGUYEN TRONG NHAN)氏を病院に訪ねました。ニャン氏は、70歳を超えてなお現役の眼科の先生です。ニャン氏は「枯葉剤の被害は、ベトナム人ばかりでなく、当時参戦していたアメリカ、オーストラリア、韓国、台湾の兵士まで広がっています」「当時アメリカ海軍の枯葉剤作戦の責任者は、息子も孫もその後遺症で亡くし、弁護士である次男が現在『被害者の会』の運動に参加しています」「昨年、コロンビア大学の科学者の調査報告が出て、ベトナムの枯葉剤被害者は、亡くなった人も含めて480万人ということです」などと話され、英文の資料をたくさん頂ました。 私は、300万人と思っていた被害者の数が、更に、推定480万人と聞いて驚くと同時に、戦後30年を過ぎてなお被害者を生み出している化学兵器による戦争のむごさを思いました。 ニャン氏は、ベトナムでただ一人、ベトナム赤十字の会長として、ブッシュ大統領(父親)、クリントン大統領と、二人のアメリカ大統領と会い、枯葉剤の被害を訴えたという人です。戦争中、は地下で手術をしたと、地下への入り口も紹介してくれました。
午後は、やはり、ハノイ市から車で30分ほどの枯葉剤被害者のリハビリ施設である友好村を訪れました。障害の重さは、平和村よりひどく、背中の曲がった子、5人兄弟全員が障害を持った子、25歳なのに、10歳くらいにしか見えない子たちに会いました。でも、みんな明るく、私がベトナムの歌を歌うと大きな声で一緒に歌ってくれました。子どもたちが書く絵も見せてもらいましたが、家も、山も、太陽も、木も、人もバランスがよく、こうした施設で心は十分健康に育っていることを感じました。 26日は、櫛田ふきさんたちが1円玉募金で作った母子保健センター(現国立産婦人科病院)、ハノイ産婦人科病院、ベトナム婦人団体連合会を訪ねました。病院での話しでは、1年間に生まれる赤ちゃんの1割が障害児だということです。 |
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その日は、また、1973年、私が泊まったまったトンニャットホテル(現在ソフィテルメトロポールホテル)、私が歌ったホンハー劇場を31年ぶりに訪れ、感無量でした。 その夜は、ハノイに住んで枯葉剤被害の子どもたちを援助し、私の平和村でのコンサートの宣伝をしてくださっていた山本翠さんご夫妻と夕食をご一緒しました。夫妻は、「日本からくるメールは今にも私たちが死にそうという鳥インフルエンザのことばかり。いったい日本のマスコミはどうなているの?」「ベトナムでは、鳥インフルエンザが発覚したとたん2週間、卵の出荷を停止したし、業者にも保障する対策をすぐ出したのよ」「対策が後手に回って業者が自殺する日本とは大違いよ」と、ベトナムを愛するご夫妻は憤慨していました。 私も、なんでツアーが延期になったの?というくらい、鳥インフルエンザの影響は、影も形もなく、拍子抜けするほどでした。 |
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27日は、車でユネスコ世界自然遺産のハロン湾に行きました。ここは絶対いいです!実は、私の一番の好物は蟹なのですが、クルージングしながら、ハロン湾で取れた生きのいい美味しい美味しいと何回言ってもいいくらいの蟹、えび、シャコが次々から出てくるのです。そそり立つ奇岩を見ながら、といっても、食べるのに夢中でしたが、、。 今回のツアー延期のお詫びを兼ねたベトナムの下見は、たくさんの方にお会いでき、大きな収穫がありました。特に、ベトナム語が堪能な若い澄子さんに会い、ベトナムの農村合作社の研究をしているという彼女を日本人として誇りに思いました。更に、通訳のヒエンさんも素晴らしい女性でした。また、ハロン湾も絶対お勧めの景勝地で、7月のツアーに改めて自信を持ちました。是非たくさんの方に参加していただいて、平和村、友好村の子どもたちに出会ってもらい、「ベトナム戦争」から学ぶことで、戦争をなくす大きな力にしていきたいと思います。それが私の一番の願いです。
今日30日は、私も原告の一人になっている「よみがえれ!有明海訴訟」が行った3.30農水省包囲行動「人間の輪」に参加し、宣伝カーの上で「よみがえれ有明海」を歌いました。農水省前に座り込んでいる諫早の漁民の人たちを見て涙がでました。私は、「政府は、イラク復興支援といって自衛隊員の命を差し出し、一方、日本の自然は破壊している。そんなお金があるなら、もっと日本の海や山や森の再生、復興に私たちの税金を使って欲しい」と訴えました。お昼休みたくさんの支援の人が集まり、農水省は怒りの輪で取り囲まれました。 「よみがえれ有明海」〜よみがえれわが大地より〜
横井久美子 2004年3月30日 |
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