Kumiko Report 4/20/2004











歌は時を越えて

4月18日は東京は快晴。JR新大久保駅を降りて、アートコートホールに向かう角に、100曲コンサートの看板には、赤いバラの花が添えられいて、作った人の心が伝わる。
ホールのロビーに入ると、実行委員の方たちがたくさん集まってすでに盛り上がっていていい雰囲気。

18日は、100曲コンサートの2日目、「大地をゆるがし、歴史を塗り替えた世界の叫び」と題して、ベトナム、チリ、ニカラグア、アイルランド、ポーランド、南アフリカ、韓国など、世界各国の歌を歌った。

「ポコヨの鳴く国から」を歌っていたら、ハダシの少年の黒い瞳や朝早く荷車をひいていた少年の笑顔を思い出した。ニカラグアは優しい国だった。でも、そんな懐かしいという想いを抱いた曲は数曲で、もう20年も30年も前の歌なのに、それらの歌が2004年の「今」にそっくり生きていることに改めて驚愕しながら私はうたった。

アイルランドの「私の愛した街」は、ファルージャに重なる。北アイルランドのデリーの血の日曜日で14名の人が死んだ事件は、昨年4月28日にファルージャで学校を占拠した米軍に立ち退きを迫った人が撃たれ15人が死んだ事件と重なる。ポーランドの「ヤネックのバラード」は、1970年にグダンスク造船所で起きた、物価値上げ反対のデモで死んだ青年を悼む歌。「炸裂弾と催涙ガスが繰り返し打ち込まれた/世界は見てみぬふりさ」なども、私は、イラクのファルージャを想いだしながら歌った。金芝河の「灼けつく渇きで」は、「ひそかにお前の名を書く、民主主義よ、おお民主主義よ」という詩、歌いながら私は、とても新鮮に感じた。

それは、今、この日本を覆っている空気があまりにも息苦しいからです。拍手と笑顔で迎えられ、明るい発言があってもいい3人を押し黙らせてしまう空気。あんな極限状態で「イラクの人を嫌いになれない」という発言は、日本とイラクの友好親善大使になってもいいほどの行為なのに、、、、。

私は、彼らが押し黙らされているのは、「組織に属さない一人の普通の人」だからだと思う。今まで何かしでかす人は、その道のプロとか、団体とか、組織に属していた。攻撃に対し反撃できる強さを、理論的にも、組織的にも、よくも悪くも持っていたと思う。そういう組織や理論に守られた人や団体を、世間はいじめないし、いじめにくい。いじめられるのは、「弱い」とおもわれているからだ。こうした雰囲気、情報操作をしたのは、日本政府ですが、、。

でも、フランスのルモンド紙の記者が書いていたように、普通の若者が、「人助けをしようと海外までいく」日本になってきているのです。これは日本社会の発展の兆しです。大きな組織や団体に守られて、指示されて行動するのではなく、自分の考えで、自分の怒りと悲しみで、そうしたヒューマニズムに支えられて行動する人たちが出現しているのです。それこそ「自己責任」を持って彼らは行動してきたのだと思います。

だから、私は、彼らに負けないでと言いたい。あなた達こそ自分の責任で行動を起してきた人たちだと。実際はとても世間の烏合の衆よりとても「強靭」なのだから負けないでと。ポーランドでも、アイルランドでニカラグアでも、そういう名もない一見弱く見える普通の人たちが、叫び声をあげ、歴史を塗り替えてきたのだと。私は歌いながら、歌が時代を超えて響いてくるのを感じていました。3時間で33曲歌いました。次回3回目をお楽しみに。

今日は、今朝の新聞を見てバンザイ!と叫び、一人で拍手し涙しました。さて、お分かりでしょうか。それについてはまた、書きます。

横井久美子
2004年4月20日

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