Kumiko Report 4/27/2004 |
35周年へのビックプレゼント 20日の朝刊の一面を見て、「国に勝った!」と、一人でパチパチ手をたたき、泣いていたのは、筑豊じん肺のことでした。 今日、午後3時に最高裁小法廷で判決がありました。傍聴席に座った私達に裁判長が、「それでは判決を述べます。判決、国の上告を棄却します」。たったそれだけの短い判決文の朗読でした。私は、涙ぐみながら隣の人と握手をしました。 福岡県筑豊地方の炭鉱で働き、じん肺にかかった元炭鉱労働者の遺族176人が国と日鉄鉱業を相手に訴訟を起していた裁判で、最高裁は国の責任を初めて認めた福岡高裁の判決を維持し、国の上告を棄却したのです。提訴以来18年の長い間「原告が生きているうちに救済を」という願いもむなしく、いま、生きているの原告は25人です。 私は、12年前にじん肺を知り、「夫へのバラード」をつくり裁判を応援してきました。昨年の「輝き塾」には。筑豊じん肺の方々に来ていただき、原田弁護士と二人の原告から話を聞きました。その模様はソング&エッセイ「歌って愛して」にも書きました。 現在、各地でトンネルじじん肺訴訟が、企業との和解が進み勝利していますが、炭鉱夫じん肺は、国が相手で、国に勝つのは容易なことではないと思っていました。でも、国に勝ったのです。「正義が勝った」と、近くの人が叫んでいました。 台風のような雨と風のなか、最高裁前で報告に立つ遺影を持った遺族や原告の嬉しそうな顔、顔、顔。弁護士の先生にもっと前に行ったらと私がいうと、「今日は原告が主役だから」と嬉しそう。先生達も本当に長い間ご苦労様でした。 最高裁の傍聴席に座ったのは、96年の長崎北松じん肺訴訟以来、2回目でした。日本国民のなかで最高裁の法廷に入った人は数が少ない上に、2回目というのはもっと少ないでしょう。その上、音楽家で2回も最高裁の法廷に入った人といえば、きっと私一人でしょう。そう思うと、とっても誇らしくなります。それも国に勝った裁判で。 原告をはじめ多くの方にの辛い長い戦いを、私ごとの卑近なことを言ってはいけないのでしょうが、私は、この判決が、5月8日からはじまる歌手生活35周年コンサートへの最大のプレゼントだと思いました。私を通してじん肺を応援して下さった皆さんに心から感謝し、また一緒に喜びたいと思っています。ありがとう!。 横井久美子 2004年4月27日 |
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