Kumiko Report 5/22/2004 |
ニャンザン報道 ベトナムの電子ニャンザン2004年5月4日版に 「ベトナムでのオレンジ剤毒薬被災者を支援する国際的友人たち」という記事のなかで、私も「国際的な友人」の中に加えられ紹介されていました。元ベトナム駐在の記者和田正名氏よりお知らせいただいた情報ですが、7月30日にベトナム平和村を訪れコンサートをすることが、ベトナムの枯葉剤被害者を支援する国際ネットワークの一つとして紹介されたことをとても誇りに思います。 以下貴重な情報ですので記事を転載いたします。 May 4, 2004 Nhan Dan ------------------------------- 戦争から三十年近くが経過し、ベトナム国土の崩壊は次第に克服されているが、そのなかには、オレンジ剤毒薬被災者にたいする国際的友人たちの情熱的な援助がある。 オレンジ剤毒薬被災者が治療し、日常生活に融合する条件をもつことを援助するために、オレンジ剤毒薬被災者の会は呼びかけをだして、次のように提起している。「政府や共同社会が懸命に心をくばって補助してくれてきたし、今もしてくれているにもかかわらず、今日のベトナムの経済条件は、戦争が残した重い災禍を解決するための能力がまだ十分ではありません。われわれオレンジ剤毒薬被災者たちは、全世界の良識あるすべての人びとの援助を必要としています」。 ベトナムのオレンジ剤毒薬被災者の状況についての情報と合わせて、この呼びかけは、インドでの世界社会フォラムに参加した約百三十か国、十万人近い人びとのなかの多くの人たちに届けられ、またきわめて多くのベトナムの国際的友人に届けられた。ベトナムのオレンジ剤毒薬被災者の会が正式に、アメリカの化学薬品会社は被災者にたいして賠償しなければならないと、訴訟を起こしたとき、多くの人たちが強い賛意を表した。会の声明は強調した。「この訴訟は、他の多くの国でのダイオキシン化学毒薬の被災者すべての正当な権利のためであり、単に一つの世代のためではなく、長引く不運に耐えてきたし、耐えつつあり、これからも耐えていかなければならない多くの世代のためでもあります。平和と世界の道理を守ることに進んで貢献するために、オレンジ剤毒薬被災者を支援しようではありませんか」。 われわれは国際的な友人たちの強い支援のまえに心から感動している。この多年にわたる、ベトナムのオレンジ剤毒薬被災者支援の声無き貢献とあわせて、イギリス−ベトナム友好協会書記長のレン・アルディット氏は、クリントン元大統領とパウエル国務長官に公開状を送って、ベトナムのオレンジ剤毒薬被災者への賠償責任を負わなければならないと呼びかけた。同氏はベトナム南部でオレンジ剤毒薬をばらまいたアメリカの戦争行動を非難することに多くの力を捧げている。これまでにレン・アルディット氏は、アメリカの化学物質会社を損害賠償を要求して告訴する、ベトナムオレンジ剤毒薬被災者を支持する署名を一万九千人以上集めてきた。 現在カンボジアに住むイギリスのジャーナリスト、T・ファオトリップ氏は、告訴について知った後、カンボジアで、ベトナムでのオレンジ剤毒薬についての映画を上映してきた。最近、ディエンビエンフー戦勝記念日にあたってベトナムを訪れた際、同氏はオレンジ剤毒薬被災者の一部と接触することを望んだ。 平和運動の熱心な活動家で前世紀の七〇年代初めからこれまでベトナムと連帯してきた日本の著名な女性歌手K・横井は、二〇〇四年七月にベトナムのオレンジ剤毒薬に汚染された子どもたち救援に貢献する慈善公演でベトナムを訪れる予定である。 「戦場での毒の叢雲」という題のイギリス人映画作家のモスクワ映画祭受賞映画を通じて、世界はかつて、オレンジ剤毒薬に汚染された父母、祖父母からの遺伝子による奇形児として生まれたベトナムの青年や子どもたちのことを知ってきた。 以前にベトナムでのアメリカの戦争に反対してデモをし、その時「裏切り者」の非難を受けたJ・R・ウィリアムさん(オーストラリア)は、ベトナム平和と開発基金に、彼女がベトナムのオレンジ剤毒薬について書いた本を贈ってきた。それらは、一九九六年オーストラリア人権賞受賞「荒れ果てた血の嘆きの声」、「悪魔の使者の虹」、二〇〇二年オーストラリア人権賞受賞「霧の子どもたち」である。彼女は、ベトナム人にたいして、当時戦争に参戦したオーストラリア人にたいしてさえひき起こした、戦争のなかでの化学毒薬使用による恐ろしい災禍について、人びとがいっそうよく理解するのを助けてきた。彼女は、自分の息子、オアルナー・セム・ブラウの「衛生兵」も付けて贈ったが、オアルナーこそが、ベトナム戦争での恐るべき光景、悲しみ、極度の緊張をかつてその目でみてきた「衛生兵」であった。オアルナーは戦争で死んだオーストラリア兵五百人以上という統計に心が痛むが、しかし、戦争によるその災禍は、まさにそれが演じられていたとき以上に、さらに恐れおののくものを残したのだった。 フランス−ベトナム友好協会は、来る十一月にベトナムでのオレンジ剤毒薬の災禍、この毒薬被災者救援についての国際会議をパリで開く準備を進めている。 道理を求める良識の具体的な仕事あるいは声を上げることをつうじて、これら国際的な友人たちは、ベトナムでのオレンジ剤毒薬被災者の救援のための、日増しにより強力になっている新しい運動のなかで、再び肩を並べている。レ・ティ・タイン・リー(ベトナム平和・開発基金) 和田正名仮訳 五月十七日 横井久美子 2004年5月22日 |
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