Kumiko Report 6/25/2004
福山のみなさんありがとう!

福山での記念コンサートは、3日前に完売!ということで中心の皆さんは、元気溌剌、余裕でした。

実は、福山市は福岡や札幌に行くより時間も交通費もかかるところなのです。完売しなかったらきっと赤字では、と心配してました。もう一つ心配ごとが。コンサートの中心人物である養護学校の先生をしている中川惠子さんが、京都のコンサートに現れた時、杖をついていたのです。職業病でしょう、ひどい腰痛でどうなるか心配しました。

でも、その腰痛も何とか治まり、完売!その上、他の記念コンサートより、ブルーの記念Tシャツの人が多かったし、6枚組CD「VIVA KUMIKO」も一番売れました。客席も、中川さんがぜひ聴いてもらいたいと障害をもった青年たちが。

これまで中川さんは、アイルランドに行っても、東京のコンサートに来ても、その様子をみごとに「輝き隊通信」で伝え、コツコツ輝き隊員を増やし続けました。彼女の人柄でしょう。中川惠子応援団といってもいい彼女のサポートグループがこのコンサートを成功させてくれました。コンサート後、中川さんから寝る時読んでといわれて手紙を渡されました

「〜〜はじめは身近な人に買ってもらったのですが、いきづまってしまい、では、次にどんな人にかってもらおうかと考えた時、今回横井久美子コンサートを福山でする意義をみつめ直しました。私は、人間、自分が心豊かにならなければ、人に優しくなれない。みんなが元気に明るくなって、人に優しい福山の街をつくろう、と思って、今回のコンサートを計画したのに、声をかけることを避けている人がいるのは、目的と違うのではと考えたのです。

かって一緒に障害者運動や教育活動をしてきた人で、実践上の問題や運動の進め方、行政との対応の不一致などで、疎遠になっていた人がいたのですが、でも、この人たちは、本来味方のはずで、これからも一緒に運動をしていくべき人なんだと考え直し、思い切って声をかけたのでした。そうしたらみんな私が声をかけるのを待っていたかのように応えてくれたのでした。

横井さんのコンサートのおかげで、その人たちと自分との間に作っていた壁を打ち破ることができたことが、とても嬉しいことでした。横井さんのコンサートをたくさんの人に聴いてもらって、心優しくなって、元気になってほしい、と願っていましたが、一番元気になったのは”実は私”だと思っています。両手いっぱいの感謝を込めて〜〜」


私は、記念コンサートを通じて願っていることの一つは、誰よりも中心の方が「やってよかった。元気になった」と思っていただけることです。二つ目は、コンサートづくりの過程のなかで、新しい出会いと仲間作りができることです。この二つが福山でも、またできたことが私は本当に嬉しいです。

私はコンサートの心よい興奮の中で、彼女からの暖かい感動に満ちた手紙を胸に、快く眠りにつきました。

今日、新潟から電話が入りました。「とりあえず、財政目標に達したから安心して、新潟に来てください。待ってまーーす!」という元気な声でした。新潟は、他のコンサート会場に比べ大きいホールなので、もっと聴いていただく方が増えたらいいなと思っています。記念コンサート前半戦(?)、上半期(?)の最後で、私たち演奏者も更にパワーアップした素敵なステージを作るつもりです。

横井久美子
2004年6月25日

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