Kumiko Report 7/12/2004
二大政党制

2001年1月、アメリカ大統領選挙の時、ワシントンにいた。ブッシュとゴアのどっちが大統領になるか分からなかった時期で、私は、当時、執筆していた本音のコラムに「二代政党制神話」を書いた。

「〜先日、アメリカの新聞『USA TODAY』に『歴史的な選挙の記念品』として、ブッシュ氏とゴア氏を裏表にデザインした記念コインの前面広告が載っていた。コインの両面とも「第43代アメリカ大統領』とあり、大見出しは『It's A Coin Toss!(コイン投げ)』。私には、どっちでも裏と表の違いだけという痛烈なジョークと感じられた。」 (『ゆるゆるふっくり』158頁)

今回の参議院選挙で、日本も「二大政党制」が定着したとマスコミは報道している。しかし、私の感想は、3年半前に、アメリカで「どっちも同じ」と感じたこととまったく変わりない。民主党と自民党では、安保・自衛隊問題、消費税問題、憲法問題など対立軸になる政策に変わりがなくどっちも同じだからだ。今回、民主党に票が集まったのは、小泉の進める軍国化政策や弱者切捨て政策と共に、とりあえず人を人とも思わないゴーマン首相を懲らしめたい!暴走をゆるさない!「捨て票」にしたくない!という人々の怒りが集まったからだと思う。

もし、たとえ、民主党と自民党が 多少政策が違っていたとしても、もともと国民の意見は多様なんだから、無理矢理二つの政党に、多様な意見を押し込め、色分けしていくのは、決まった2種類の制服しか着てはいけないといわれるようなものだ。

そして、いや待てよと思う。マスコミのこの「二大政党制」という言い方は、正しいのだろうか。だって、自民党は、集票も政策も公明党あっての自民党で、自主独立した「一大政党」とはとてもいえないではないか。二大政党制信者が信奉しているアメリカの共和党も民主党も、公明党のようなコバンザメ政党がくっついているか?これは、「マニフェスト」とという言葉と同じで、「二大政党制」という言葉だけが先行し、それらしき「ムード」を振りまいているに過ぎない。

投票日前日、渋谷に行ったら、喜納昌吉さんがこれから来ると宣伝カーが叫んでいた。喜納さんは、以前、一緒になる機会があって、「琉球王国独立」など、とてもユニークな発想で、日本の平和を実現しようとする優れたミュージシャンだと敬愛していた。でも、なぜ、政治家になろうとしたのか?ミュージシャンでいた方がずっと「平和な日本」への熱い想いが伝えられるのに。そして、なぜ、民主党から出馬したのか?「すべての武器を楽器に」と訴え、イラクまで行って非戦を訴えて、自衛隊派遣には反対していたのに。そんな喜納さんが民主党から出馬したこで、民主党への平和への幻想を拡大してしまったのではないだろうか。(以前も新進党から出馬という話もあったけれどね)
ただ、渋谷で見た喜納陣営のキャッチコピーは良かった。「戦争にはいくな!選挙に行こう!」。 

今日の「東京新聞」夕刊の鎌田慧さんの文章が良かった。「〜あと二年もゴーマン首相の勝手放題を見るのはいやだ、という人びとは、きっと動き出すであろう。国会ばかりが民主主義の場ではない。次の選挙で、『国政』を変革できるかどうか、それは国会のそとでの、小政党や少数派労組や、地域労組、市民運動などの「連帯」と「共闘」にかかっている。」

横井久美子
2004年7月12日

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