Kumiko Report 8/5/2004 |
ベトナム報告 No.2 30日の夜、ハノイの子ども宮殿で「枯葉剤被害児のためのチャリティコンサート」が、ベトナム子ども基金主催、ベトナム日本友好協会後援、ベトナム文化基金制作で開かれました。ベトナム子ども基金の会長は、グエン・ティ・ビン前国家副主席。ベトナム戦争終結の頃、南ベトナム臨時革命政府の外務大臣として、パリ和平会談にアオザイ姿で颯爽と現われ、世界が注目した女性です。2年前に国家副主席を退いたあと、ビン女史は、枯葉剤被害を受けた子どもたちのために全精力をかけているということで、その夜も、一番前の席に座っていました。 このコンサートのため、ベトナム側がきれいなチケット作ってくれ、当夜は、無料だけれどこのチケットがないと入れなくて、チケットが欲しい人がいっぱいでなかなか手に入らないということでした。会場は、最初にスポンサーの名乗りをあげたHONDAのマークとYokoi Kumikoの入った幕が、舞台をはじめ、場内の壁にもたくさんかけられていました。 ベトナム側の挨拶のあと、白い制服を着たチャリティ芸術センターの子どもたちが開幕の合唱。そのあと、ベトナム共産党のリーダーとHondaVetNamなどのスポンサーが、平和村の子どもたちににプレゼント。チャン・トゥアという男性歌手が1曲歌ったあと、私の登場。 「浜千鳥」「げんげんばらばら」「赤い椿と青いげんぼし」「戦車は動けない」「おなじ空おなじ子ども」をハノイ音楽院3年のグァーさんのバイオリンと安田さんのギターで演奏。 私が、最初に「バイオリンのグァーさんは、昨日初めて会いました。安田さんは、昨日ハノイに来て、明日帰ります。昨日会っただけで一緒に演奏ができます。音楽は素晴らしいです」と言うと、会場がざわめいた。「赤い椿と青いげんぼし」などは、グァーさんが途中からきちんと入ってくれるか心配していましたが、さすが、母親もバイオリニストで13年もバイオリンを弾いているグァーさんは舞台度胸の満点。「戦車は動けない」の前に、73年にハノイのライブ録音を流すと、またまた、会場はざわめく。この歌をいまだに知っている人も何人かいたようです。 |
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設楽澄子さんと ベトナムの歌手とともに |
会場には、平和村のコンサートでお土産に持っていったブルーのハンカチをしている平和村の子どももいました。 このステージのハイライトは、グァーさんもリハーサルの時から「この歌きれいな曲で、私、好きです」と言ってくれた「おなじ空おなじ子ども」。今回、この人なくしては、夜のコンサートは実現しなかったハノイ国立大学に留学中の設楽澄子さんと、ベトナム人に良く分かってもらえるいいステージにしようと、練習をかさねた。私は、澄子さんの声の美しさとその詩的なセンスの良さに注目し、当日、舞台で「アフガンもイラクの子どもも、日本の子どもも、ベトナムの子どもも、皆おなじ空のもとに生きている大切命です。二度と枯葉剤の被害で苦しむ子ども出さないように、平和への祈りを込めてこの歌を歌います」と言う内容を、私の日本語を、澄子さんの綺麗ですがすがしいベトナム語で、交互に言い、訳してもらってから「おなじ空おなじ子ども」を歌いました。多分、ベトナムの人たちは、歌手がメッセージをいいながら歌うというスタイルや、カラオケでなく、ギターやバイオリンという生の演奏者をバックに歌うというスタイルをとても新鮮に感じたと思います。 私のステージのあと、舞台下におかれた募金箱に、各組織や個人から寄付金を集めるセレモニー。私たちのツアーの人たちも、一人づつ参加した。募金のあと、アイン・トゥさん、ダン・ズオンさんという歌手が歌い、最後は、人民芸術家のトゥン・ビーさん指導による「こども達の夢は平和」を、私も一緒にこども達とうたった。グエンティビン前国家副主席もステージに上がってフィナーレでした。 私は、自分の演奏が終わるなり、テレビのインタビューがあって、あとの二人の歌は聞けなかったのですが、私の前に歌った男性歌手を、ツアーの人たちが笑いながら「ベトナムの北島三郎」と呼んでいました。ところが、当夜出演していた歌手達は、本当に「北島三郎」クラスの歌手だったそうです。 |
このチャリティコンサートの寄付金は、その夜に集まった分も含め、7万ドル(日本円で800万円相当)。ベトナムの物価は日本の10分の1以下だから、ベトナムの貨幣感覚では1億円近くのお金が集まったことになります。テレビのインタビューでも、何故こんなに寄付金が集まったと思いますかと質問されました。私も良く分かりませんが、今回の国を挙げての宣伝は、テレビコマーシャルを何度もするなどすごかったし、枯葉剤被害児に対する関心が広がって着たことと共に、グエン・ティ・ビンさんが精力をかけて活動していることが大きいのではないかと思いました。 このコンサートの模様は、テレビ番組として後ほど放映されるようですし、子どもニュースという番組からも、私の番組を作りますといわれ取材を受けました。 もちろん、35周年記念フィルムを製作するためにベトナムに同行している若者たちもカメラを持って走り回っていましたよ 次回は、平和村と子ども宮殿の2つのコンサートについていろいろ感じた点について報告します。 横井久美子 2004年8月5日 |
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