Kumiko Report 8/7/2004 |
ベトナム報告 No.3 ベトナム各紙に紹介 現地の新聞記事をハノイ駐在の北原俊文さんが日本語にして送って下さいましたので紹介します。 横井久美子 ◆「クアンドイ・ニャンザン」(04/08/01) 枯葉剤被害児のためのチャリティー・コンサート 【クアンドイ・ニャンザン】二〇〇四年七月三十日、ハノイ市内リ・タイ・トー(李太祖)通り三六番地にある少年宮殿のカン・クアン・ドー(赤いスカーフ)劇場で、日本の女性シンガー・ソングライター横井久美子の「枯葉剤被害児のためのチャリティー・コンサート」が開かれた。コンサートには、ベトナムの歌手、トゥオン・ビー(人民芸術家)、チョン・タン、ダン・ズオン、アイン・トー、そして福祉芸術センターの児童、「平和村」の枯葉剤被害児も賛助出演した。 これは、七月二十七日の負傷兵・戦没者記念日にあたって、ベトナム児童保護援助基金がハノイ文化基金、ベトナム・日本友好協会、ベトナム・ホンダ社と共催したものである。主催者や芸術家たち、そして特に女性シンガー・ソングライターの横井久美子は、コンサートを通じて、国の内外の機関、組織、個人に対し、枯葉剤被害児のおかれている状況についてメッセージを送り、障害に苦しみながら生きている、罪もない子どもたち対し、全社会が関心と援助を寄せ、彼らのためにたたかうよう呼びかけようとした。(ゴ・ゾアイン〈呉営〉記者) ◆「ハノイ・モイ」04/08/01 4面トップ 枯葉剤被害児と(気持ちを―訳注)分かち合う音楽の夕べ 三年前、グエン・ティ・ビン女史(当時、副国家主席)のイニシアチブで、ベトナム児童保護援助基金は、障害児と枯葉剤被害児への支援運動を起こした。副国家主席の呼びかけに応え、同基金はこれまでに、障害児と枯葉剤被害児のために、国家予算からの六十億ドン(約四千二百万円)を含めて数百億ドンを集めた。この集まった資金によって、同基金は、障害児、特に枯葉剤被害児への補助プロジェクトを展開してきた。 プロジェクトは三段階に分けられる。第一段階(二〇〇一〜〇二年)では、クアンチ、クアンナム、ドンナイ、ベンチェーの四省十四村の障害児のリハビリを専ら担当する六つのリハビリ・センターを設立した。第二段階(二〇〇二〜〇三年)では、バクザン、ハタイ、タイビン、タインホア、ゲアン、ハティン、クアンビン、クアンガイ、ビンディン、ダクラク(現在は、ダクラクとダクノンの二省に分離―訳注)の十省六十三村の障害児のリハビリを専ら担当する十四のリハビリ・センターを設立した。第三段階(二〇〇三〜〇四年)では、ジャライ、コントゥム、ニントゥアン、ビントゥアン、タイニン、フーイエンの六省二十六村を担当する六つのリハビリ・センターを設立した。これまでの総計で、二十省百三村に奉仕する二十六のリハビリ・センターができている。各センターは、上述した各省の二千三十七人の障害児に対し、補助、保護、リハビリを行ってきた。 プロジェクトを効果あらしめるために、同基金は、人口家族児童委員会(省に相当する国家の官庁―訳注)や地方レベルの基金と連携して、宣伝に努めるとともに、各地方が各部局と緊密に連携してプロジェクトを展開するよう指導してきた。同基金はまた、リハビリ・センターのグレード・アップや補修のために一省当たり約五千万ドン(約三十五万円)を補助し、地方がリハビリ訓練用具を購入するために四千万〜六千五百万ドン(約二十八万〜約四十五万五千円)を補助した。 現在、九百三十四人の障害児が恒常的にリハビリ・センターへ訓練に通い、昼食のために毎月、一人当たり七万ドン(約四百九十円)を補助されている。現在、千四百三十七人中の四百八十二人が訓練の成果をあげている。ベンチェー省モーカイ県アントーイ村のフイン・チュク・ラム君(15)が典型に挙げられる。彼は脳性マヒであるが、プロジェクトに参加してからは、自分で通学できるようになり、自分で車椅子を操作してクラスに通っている。あるいは、一九九六年、クアンナム省ディエンバン県ディエント村生まれのファン・クアン・ホン・アインさんがいる。ホン・アインサンは六歳になっても歩けなかったが、訓練によって今では、よちよち歩きができ、父母の名を呼ぶことができる。 (さて、ここからが本題です―訳注) 枯葉剤被害児を支援する社会の資金を集める上でいっそう努力するために、ベトナム児童保護援助基金は七月三十日、ベトナム・日本友好協会、ハノイ文化基金、ベトナム・ホンダ社との共催で、チャリティーの音楽の夕べをハノイの少年宮殿で開いた。 イブニング・コンサートには、ベトナムの歌手、芸術家の他に、日本からやってきた歌手、横井久美子も参加した。横井久美子のベトナム訪問は今回が三回目(ママ―訳注)で、彼女の演奏活動三十周年(ママ―訳注)にもあたっている。彼女が歌った六曲を通じて、聴衆は、枯葉剤の被害を受けた不幸な子どもたちへの彼女の思いやりと共感を受け止めたようだ。彼女はこう打ち明けている。 「二〇〇三年、私は、ハノイのタインスアン平和村を訪れました。戦争の後遺症の影響を受けた、罪もない子どもたちをこの目で見て、私は涙をこらえられませんでした。そのことが、私をベトナムに舞い戻らせました。みなさんがご覧になったように、私は戻ってきて、子どもたちと気持ちを分かち合うことができました」。 イブニング・コンサートは成功した。主催者は、四億ドン(約二百八十万円)の金額にのぼる機関、組織の支援を受けた。ベトナム・ホンダ社が九千万ドン(約六十三万円)を支援し、ハノイ少年宮殿の子どもたちが三百万ドン(約二万一千円)を支援し、ハノイ・モイ紙が百万ドン(約七千円)を支援し、等々である。その全額が枯葉剤被害児に届けられる。また、一つの美談が加えられた。戦争で枯葉剤を浴びた復員兵の子である障害児たちに対するわれわれの喜びの音符がまた一つ書き加えられた。(ゴク・バン〈玉雲〉記者) |
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