Kumiko Report 9/19/2004
再びの函館

茨城の記念コンサートの翌日、函館に行きました。
本当は、体力的にも距離的にも函館にいける条件ではなかったのですが、ハコダテと聞くと私は、「行きたい!」となってしまうのです。

函館は、1969年3月、私の音楽活動のデビューの地です。当時の函館労音に招かれたのですが、それまで、華やかなライトのステージやテレビ局のスタジオで歌っていた私は、函館ドック、五稜郭病院、本間鉄工所、営林局などで歌い、どんな場所でも、「舞台」になり、「聴衆」が生まれることに、カルチャーショックを受けたのでした。

その印象は、24歳の私には、強烈な印象をのこし、「この道を歩もう」と決意したのでした。私の演奏活動は、初期3年間位は、函館労音を中心とした全国の労音がわたしのステージでした。あれから35年たちました。でも、ここ20年ほどは函館はご無沙汰で、偶然、今年になって2月に呼んでいただき、また、9月と、今年は2回目も。記念コンサートというスタイルではないにしても、35周年という年に2回も呼ばれるなんて嬉しいのです。

ひたちなか市での快くコンサートの打ち上げをし、水戸市のホテルに入り、朝5時半に起きて、わき目もふらず羽田に駆けつけ、午後に開かれた「道南母親大会」で歌いました。
こうした集会は、いままで講演ばかりだそうで、歌の入った「トーク&ライブ」はとても好評でした。

35年前、労音活動で出会った人たちも参加してくれました。どの顔も一瞬は分からないのですが、話し方とか声とか変わっていず、懐かしさが押し寄せてきます。また、ある女性は、30年くらい会っていないはずなのに、すぐ分かりました。それほど、私は、当時、函館にはよく行っていたということでしょう。函館弁も懐かしくとても心地よく響いてきます。

コンサート後、母親連絡会の方々と交流会ということで、夕食をご一緒しましたが、まだ、ぴくぴく動いている海老やイカ、もう感激しました。もう東京で日常的にはこうした新鮮な魚は食べられません。私は、まったくグルメではないのですが、地方に行ってこういう食材に出会うのは感動です。

もう一つ、この交流会で感動したことは、2月に呼んでくださった方々と今回の主催の方々が力をあわせて、「36年目、新たなる旅立ち、横井久美子コンサート」をしたいといわれたことです。私は、とても嬉しくて、翌日一緒にホールも見たり、6月頃がいいねなどと話してきました。

もし決定したら、皆さんも 6月の函館にご一緒にどうぞ! 海の幸が待っています!

横井久美子
2004年9月19日

KumikoReport Index HOME