Kumiko Report 10/15/2004
札幌のみなさんありがとう!

10月13日、札幌市教育文化会館で「記念コンサート」を行いました。
会場は、キャパ360人の小ホールなのに、舞台の奥行きがあり、客席も500席近くに感じるほどのゆったりしたいいホール。さすが、文化都市札幌でした。

今回のコンサートは、じん肺の弁護士さんたちが「札幌でも記念コンサートを」と、声をあげてくれたのです。ただ、私は、出演料は心配なくても(?)超多忙な先生方がチケットなんて売れるのかしらと心配でした。でも、会場は、ほぼ満席。どうしてこうも毎回うまく人が集まるのかしらと感心するほど。客席も明るく、私が歌の題名を言うと、たびたび拍手が起こり、感激しました。

「夫へのバラード」を歌うと、客席から「ありがとう!」と声が起こりました。きっとじん肺の原告の方でしょう。この全国ツアーに欠かさず参加されている輝き隊の藤沢代表も、「ああいう声が客席から起こるなんて、札幌ならではのコンサートね」と、感心しておられました。私の名作(?)「飯場女の歌」も歌いましたが、その歌のモデルの井尻光子さんも会場に来て頂きました。

札幌は、35年前、はじめて函館労音に呼ばれ、その足で訪づれた土地でもあります。コンサート前日、事務所に次のような葉書が届きました。
「札幌での公演をとても楽しみにしています。1969年、70年、函館保育専門学院(夜学)で、貴女の歌にどれだけ励まされた事でしょう。苦しかったけど、仕事と勉強を両立させ、保母になろうとしていました。芝生の上でギターが鳴っていたことが思い出され、私の青春の一つでした。」
また、今日、女性の弁護士の方から、「弁護士としての活動と母親の両立に悩みながら、横井さんのテープを聴きながら頑張らなきゃと励まされ、また、平和への熱い思い、子どもや弱い人々への限りなく深い暖かい愛にいつも励まされてきました。今日は、とても心が洗われ、知らない間に涙が流れてきて、心が暖かくなりました」と、早速お便りを頂ました。
今回、弁護士の先生方の他に、元の札幌労音の皆さんにも協力していただいたのですが、最大の功労者は、私の国立音大時代の後輩である衣江さんでした。合唱の先生をしているということもあって一人でたくさんチケットを売ってくれました。二次会で「この中で横井さんの歌手になる以前を知っているのは多分私だけでしょう」と挨拶されました。感謝!

主催の一人の先生が、「横井久美子の歌の世界は、じん肺などの集会で2、3曲歌ってもらうだけでは、分からないことが良く分かった」と、言って下さいました。こういう感想は、今回の各地の記念コンサートでよく出る感想です。また、「集会などで歌っている横井さんは、歌手としてずいぶん損をしている」といわれたこともあります。「歌を必要とする人々の所へ歌を届ける」ことは、私の喜びであり、使命だと思いますが、こうして、丸ごとの横井久美子を分かっていただける事も、私の歌手としての無上の喜びでもあります。

北海道じん肺もこの秋、いよいよ結論がでるようです。来年は勝利集会の計画もあるようですが、その時には、安田さんを師と仰ぐ先生が、安田さんと弁護士バンドを組んで私のバックをしようという楽しい話で二次会は盛り上がりました。スモン訴訟やじん肺訴訟の弁護士の先生、札幌労音の時の方々、私の後輩などなど、何十年経っても、変わらず応援してくれるたくさんの人たちの暖かさに包まれた、札幌の記念コンサートでした。

横井久美子
2004年10月15日

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