Kumiko Report 1/4/2005
使者の務めは無事終了!

明けましておめでとう、とはいえない昨年からの災いの年が続きそうな幕開けですね。年末年始をニューヨーク、ワシントンで過ごし帰国しました。

さて、12月25日、午後、「国立・九条の会」のお便りを持って、オノ・ヨーコさんが住んでいるニューヨークの72丁目にあるダコタハウスに行ってきました。その前に、ニューヨーク大学に留学している弁護士の伊藤和子さんと娘と3人で美味しい中国料理を食べ、一緒に、ダコタハウスへ向かいました。いつもクールな娘は、「あれほどの有名人が誰でも簡単に手紙が入れられるポストがあるわけ無いじゃない」とか「本当にオノ・ヨーコはまだダコタハウスに住んでるの?」と、とても懐疑的で気落ちしそうなことを簡単に言う。でも好奇心いっぱいの伊藤弁護士はメールでも「横井さんが行けば会えるかも」と、ひっくり返るようなことを簡単に言って元気付けてくれる人で、その日も、「じゃ、面白そうだから私もついて行こうかな」と、結局は彼女の案内で、ダコタハウスにたどり着いた次第です。

セントラルパークに面したダコタハウスには、観光客がチラホラ。でも、やっぱりポストみたいなものは無いよー。ところが、アパートの前で守衛さんが掃除していたのです。守衛小屋もあったし、、。そこで伊藤弁護士がツカツカと「日本からオノ・ヨーコさんに手紙を持ってきたのですが渡していただけますか」と聞いたら、なんとOK.。私も「オノ・ヨーコさんはまだ住んでいますか』と聞き、あわてて手紙を渡したという証拠写真をパチリ。守衛さんの手にある白いものが封筒です。「ヤッタネ!」

ダコタハウス前



国立の桐朋高校の岩崎先生が書かれたオノ・ヨーコさんへの手紙は、とても素敵です。ただ、有名人だから名前を貸してほしいということではなく、ジョンレノンの曲「♯9Dream」やオノ・ヨーコ展のカタログからの言葉「A dream you dream alone is only a dream. A dream you dream together is reality 」(ひとりで夢みる夢はただの夢、いっしょに夢みる夢は現実となる)や大江健三郎さんの「自分の木の下で」をもとにしたイメージをつくり、国立・9条の会のポスターのアイデアを提案しています。
一般的に「有名人」というのは、有名人自身はそう自分を有名人と思っていないと思う。ホンモノは。私の好きなNHKBSの番組「自らを語る」でスピルバーグ監督が言っていた。「自分がもしスゴイ監督だと自分で思って振る舞いをしたら、私は、すぐ映画監督をやめるべきだ」と。ただ、有名人は、名前を利用しようという意図には敏感。でも、岩崎先生の書かれた文章は、ジョン・レノンだけでなく、オノ・ヨーコについても書いている。もし、秘書にハネラレなく、オノ・ヨーコさんが読んだら気持ちが伝わる手紙です。ワシントンで働くクールな娘も「本人が読めば返事がくるかも」と。いづれにせよ、突然自分で作りだしたニューヨークへの使者の役割は立派に(?)果たせたのでした。それも、弁護士を二人も引き連れて、、、。

その日の午前中は、9月11日のテロで崩壊した世界貿易センタービルの跡地グランドゼロに行ってきました。丁度4年前の12月末、テロの起こる9ヶ月前、私はこの貿易センタービルに登ってニューヨークの街を眺めていたのです。グランドゼロには、寒いなか、たくさんの人が訪れ、全員の名前が掲げられている「The Heroes of September 11,2001」を見上げていました。亡くなった人の家族は、彼らを「Hero」と呼んでほしくないと思っている人もいます。周りは建設中ですが、跡地には、まだ十字架がたっていました。

その夜は、ニューヨーク行きの一番の目的であるミュージカル「42nd Street」を観ました。「キャッツ」も「コーラスライン」も「オペラ座の怪人」も「ミスサイゴン」もニューヨークのブロードウエイで観ました。ニューヨークで見るミュージカルの素晴らしさは「スゴイ!、スゴイ!スゴイ!」としか言葉にできない。舞台に立つ人たちの力量も、きらめき展開する舞台装置も、素敵なホールも、ロングランでも一杯の観客もすべてにスゴイのだ。だからニューヨークは、私をとても幸せにしてくれる街なのです。

26日は、列車に乗り、ワシントンへ。でもそれ以後私は、やっと記念コンサート以来の疲れが出たのか、ワシントンでも、帰国しても、昨日までずっと寝まくっていたのでした。

さあ、今日からは、パッチリ目を開け、災いの年が続かないように、気合を入れましょう。初心に戻って!

横井久美子
2005年1月4日

グランドゼロ











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