Kumiko Report 2/21/2005 |
第21回親と子の平和のつどい 20日、川崎市のエッポック中原で行われた「平和コンサート」で、私は、普段と違う特別なプログラムを組みました。私は、よく「平和」とか「愛」とかのタイトルのあるコンサートで歌いますが、日々の暮らしこそ平和の原型と思って、コンサートは、暮らしの歌からはじめます。けれど、今回の「子どものために核兵器廃絶を実現する川崎の会」は、すでに20回もこうした親と子のつどいを行っている団体です。きっと「平和」について関心が高く、たくさんの蓄積をしている人たちに違いないと思いました。 その通り、1ヶ月前にこのコンサートを成功させるための事前交流会をした後、子どもたちの感想文が届きました。 「横井さんの歌には、一つ一つちゃんとした意味、戦争されている国の子どもたちなど、たくさんあります。私は、横井さんの話は難しかったけれど、なんとなく、歌で戦争されている国のことなどが、分かった気がします。私は『それって、歌はすごく大事なことなんだな。』と思いました。」(小学5年女子) 「横井さんの事前交流会はすごく素敵だったと思いました。横井さんの『私が私らしく生きていく』という言葉がとても印象に残っています。」(小学5年女子) 「私は『花が好き』という歌がすきです。私は平和が大好きです。平和のつどいで横井さんのいろんな歌がききたいです。」(小学3年女子) 「『世界がもし100人の村だったら』の歌が印象的でした。それで、世界中の人に平等に愛がそそがれる日が来るのを待つのではなく創りたいです。」(小学5年男子) そして、主催者の方から、「20日の当日は、3歳から大人までの人たち1000名で横井さんをお迎えします!」と言われたのです。 これほど平和についての意識や関心の高い人たちの前で演奏するのだから、私は、たとえ3歳からの子どもたちがいても、と、安田、劉、杉田、音響、照明スタッフと記念コンサートのフルメンバーで、ためらいなく直球のプログラムを組んだのです。 ♪世界中の愛をあつめて♪あくび/なみちゃん♪私と小鳥と鈴と♪花が好き♪世界がもし100人の村だったら♪戦争入門♪太陽の旗♪死んだ男の残したものは♪休憩/戦車は動けない♪私たちの夢は平和♪俺もしも死んでなかったら♪ガソリンまみれのオートバイ♪何という胸の痛みだろうか♪名も告げずに♪アマンダの想い出♪四月のカーネーション♪アシンボナンガ♪私の愛した街♪おなじ空おなじ子ども これでもか、これでもかという曲目でしょ。「ガソリンまみれのオートバイ」も「俺もしも死んでなかったら」も「100曲コンサート」以外では、ほとんど歌ったことがない曲。また、ベトナムの歌「私たちの夢は平和」は初演。歌いながら、スライドでベトナム平和村の写真を映しました。写真家の亀井正樹さんも駆けつけて頂いて映写のサポート。私は、バンバン歌って、トークは普段より少なめに感じましたが、厚木基地、沖縄の基地などの話しもしました。でも客席も「世界が100人の村だったら」の歌の部分や、「花が好き」など、バンバン大きな声で歌ってくれました。因みにトークで出てきた国は、ベトナム、イラク、アフガニスタン、アイルランド、ポルトガル、チリ、南アフリカ、フランス。そうそう「100人の村」の国を入れればすごい数。 3歳以下の子どもは託児所で、3歳以上の子どもたちが会場にたくさんいて、時々客席から子どもの声が聞こえましたが、全体としてすごい集中力。あとで、コンサート中に小さい子どもが二人、「おしっこ」といいながら、まわりに遠慮しながら、小さい背をかがめて出て行ったということを聞いて、21回もこうした「親と子の平和のつどい」の積み重ねを実感。最後のアンコールは、川崎市で大ヒット(?)している「世界中の愛をあつめて」を、私は歌わず、客席の1000人近い人たちだけで歌って終演。バックのバンドの音で、客席だけの生の声が一つになるってすごいステキな瞬間でした。 コンサートが終わって私は、「歌ったぁー!」という満足感でいっぱい。自分で言うのも何ですが、私がこれだけ満足しているのだからきっと客席も満足!と思ってしまいます。これこそ、自己満足?自画自賛?いずれにしても、これだけのプログラムを受け止めてくださった会場の皆さんに心から感謝。私が歌手という仕事のなかで、35年かけて創ってきた、歌を通しての平和への想いを、1000人近い人たちの前で披露、結実させることができたという感謝です。 戦争への道を着々と歩む今の日本。このプログラムで全国を回りたい! 横井久美子 2005年2月21日 |
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