Kumiko Report 3/20/2005 |
帰ってきました。ベトナム報告No.1 昨日、ベトナムから帰国しました。13日、成田から夕方ホーチミン空港に着くと、30度を超える熱風。暑い暑い。早速、中心街にあるレックスホテルへ。ホテルの隣は、現在、工事中。私は、1994年のベトナム公演で、ホーチミンのオペラハウスとも呼ばれる市民劇場で公演する予定だったのに、突如として政府の都合でホールを変更され(ベトナムではよくあること)、このレックスホテルの隣の、取り壊される予定の映画館で公演した。崩れ落ちそうなホールだったけれど、それでも、入りきれない人たちが集まった。あれから10年たっているけれど、まだ、工事中。 翌日、14日、ホテルの部屋に、英文の「Saigon Times」が入っていた。一面の見出しが目に入った。「Vietnam angry about ruling in Agent Orange case(ベトナムは枯葉剤訴訟の結果に怒っている)」。昨年1月、枯葉剤被害者の会ができ、枯葉剤を製造したアメリカの製薬会社を訴えた。いよいよ訴訟が受理され、裁判がはじまると期待していたのに、3月10日、ニューヨーク市、ブルックリン区、アメリカ連邦裁判所のウェイストン裁判長は、この訴訟を、受理せず棄却した。それも、裁判長は、380万人もいる被害者をベトナム独自の病気だとしたので、誰もが怒っている。
朝食を済ませて、5月にツアーで訪問する予定になっているベンチェ省立障害児学校へ向かう。ベトナム中部、南部は、ベトナム戦争の激戦地で、枯葉剤被害児が多いと聞く。ホーチミンから車で2時間ほどかかるが、メコンデルタなので、途中から20分ほどフェリーに乗る。ベンチェ省は、ヤシの古里で、70年代に、動物を殺したり、自然を破壊しないでヤシだけ食べて生きようとした「ヤシ教」があって、30万も信者がいたらしい。それほど、ヤシが多い。80年代には解散させられたそうだが、30代の通訳のフンさんは、そのポリシーにかなり共感していた。
到着したベンチェ省立障害児学校は、豊かなメコンデルタの中にあるせいか、広々として気持ちがいい。(ハノイの平和村は、都会の片隅にひっそり、という建物だが。)初代校長でもあるディエップ副校長に話を聞く。この学校は、1991年、ベンチェ省が土地を提供し、日本の「ベトナムの子ども達を支援する会」が学校を作り、その後も、日本からたくさんの援助が寄せらているそうだ。私達が知らないだけで、いろんな国や場所で、日本人が世のため、人のため貢献している!と感心、そして嬉しい! 先生は33人で、生徒は7歳から15歳まで195人、リハビリと職業訓練をする。先生自身も、枯葉剤の多かった学校で教師をしていて、病気になり手術を受け、そんなこともあり、初代校長になったという。5月に、福山市の養護学校に勤める中川惠子さんが、2年間使った車椅子を持って行きたいという希望があったので、聞いてみると「どんなに壊れた車椅子でも結構です。車椅子はこの省全体でも足りなくて、ここには修理する部屋もあります。だから、ここは車椅子のセンターになっています。」 そうだよね、ベトナム人はとても器用だから、何でも直したり、改造したりできるね。
豊かなメコンデルタの学校だという印象は、トイレを借りたり、施設を案内してもらったりしているうちに変化。台所はこれだけ。このかまどで195人分の食事ををつくる。食用のために豚も飼っている。いや、こうした暮らしこそ、豊かな暮らしなのかも、、。
今回、ホーチミンを中心に南では、国立、省立、個人と、3ヶ所の施設を見ることができたが、ただ、3ヶ所の施設に共通していた点は、対応してくれた3人ともが女性で、また、その女性たちが、柔らかいやさしい声で話し、静かな暖かい雰囲気をかもし出す女性たちだったこと。こうした施設で働くベトナム女性はとてもとても魅力的でした。 次回は、その夜に起こった出来事と、ハノイでの出来事をお知らせします。 横井久美子 2005年3月20日 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
KumikoReport Index HOME |