Kumiko Report 3/21/2005 |
ベトナム報告No.2 昨日の、孤児院の子ども達がゴロゴロ寝ている写真、お昼寝みたいですが、みんな障害のため起き上がれません(念のため)。ホーチミンでは、3ヶ所も施設を訪問しましたが、5月のツアーで訪問するのは、笛を吹いてくれたトック君のいるベンチェ省障害児学校だけです(これも念のため)。ツアーに参加される予定の方は、「えっ、こんなに施設めぐりをするの?」と、どうぞ誤解しないで。3ヶ所も行ったのは、私が、枯葉剤被害児の施設を他でも見てみたかったからです。 とはいえ、もう、あまりに障害を持った子ども達をたくさん見て、私は、身も心もぐったり。でも、その夜は、懐かしいベトナムの友人達と再会の予定なので気持ちを新たに。6時半にホテルのロビーで待っていると、白いTシャツを着た女性が私に向かって手を振った。昨年、来日し、11月24日五反田ゆうぽうとの「アジアの風フェスティバル」に出演した歌手のビーク・ホーンさんだ。 ビーク・ホーンさんとは、1994年のベトナム公演の時、ベトナムを代表する作曲家の故チンコンソンさん、女優で国会議員をしたチャ・ザンさんなどと一緒に会った。(ソング&エッセイ集「歌って愛して」の136ページの真中) 昨年の来日の折に会いたいと思ったが、なんせ私は21日の国際フォーラムが終わった直後で会うことができなかった。 ビーク・ホーンさんは、会うなり、私に着ていたTシャツを見せた。それは、94年のベトナムツアーに作った「YOKOI KUMIKO 94 VIETNAM」という私のTシャツだった。わざわざ、11年前のTシャツを着て迎えてくれるとは、、、。感激!そして、マネージャーらしき人も居て、ロビーで突然、「5月にはホーチミンでコンサートをしましょう!何か今資料持っていますか?」と話し出す。私は、昨年のハノイのように「枯葉剤被害児のためのチャリティコンサート」ができないかとは思っていたのですが、ビーク・ホーンさんには、何も伝えていなかったので、びっくり。 その後、夕食の場に席を移し、集まったメンバーの豪華で強力なこと。ビック・ホーンさんに加え、私が1973年、初めてハノイを訪れた時、高射砲部隊に案内して通訳をしてくれたトゥクさん。諸国人民連帯委員会事務局長のタンさん。トゥクさんは、毎年、私がベトナムを訪れるたびに顔を出してくれる。タンさんとトゥクさんは、元「サイゴンツーリスト」の社長、副社長という間柄でもある。ビーク・ホーンとは初めての様子だったが、タンさんが、「諸国人民連帯委員会の300名のホールより、ホーチミン市民劇場(オペラハウス)の方が、コンサートにはいいですね」というと、ビーク・ホーンさんが「あそこでは狭いから、1300名入るベンタンホールにしましょう」と、あれよあれと話が進んでいく。 ビーク・ホーンさんは、さすがプロで、「横井さんが30分、私が15分、テ・ヒエンさんにも声をかけて15分歌ってもらう。『天上の幸福』の子ども達にも出て演奏してもらいましょう」とテキパキ企画。「テ・ヒエンさんってどんな人」と、通訳のフンさんに聞くと「日本の谷村新司のような人」という答え。何という奇遇!彼は、以前から『天上の幸福』の家を訪れ、歌を作り、ちょうどその時パリで行われていた枯葉剤の国際会議に司教さんと一緒に行っているのだという。 私も、「昨年のハノイ公演は枯葉剤被害者の会ができ、訴訟を起こした時期で大成功したけれど、今回5月のチャリティコンサートは、その訴訟が却下され、世界中の人たちがアメリカに対し、怒っていることをアピールするためにも是非成功させたい」といいました。 左からトゥクさん、タンさん、右はビーク・ホーンさん そして、主催は「枯葉剤被害者の会」「諸国人民連帯委員会」「ベトナム日本友好協会」とし、最後は、まるで日本の実行委員会のように、3人がそれぞれの役割を決めて、私達は、丸いテーブルの前にそれぞれの手を重ね、「レストラン(名前を忘れた)の誓い」をして盛り上がったのです。私がベトナムに行くことで、古くからの友人達がコンサートをしようと動いてくれのは幸せなことです。もちろん第一の理由は、夫々が枯葉剤被害を世界に訴えたいと思っているからですが、、、。 こうしたあっけにとられるような成り行きの中で、ビーク・ホーンさんが別れるとき、私に言いいました。「ベトナムでは、年をとると、声は出るのに、現役の歌手をあきらめます。私も、そう思ってホーチミン音楽院で教えているけど、横井さんを見ているといつまでも現役で歌っていて、私もできると思いました。横井さんには、とても励まされて、尊敬しています」 私は、「私もこういうことを言われる年齢になってしまったんだ!」と、突然、わが年齢を自覚しましたが、それでも、彼女の言葉には、とてもリアリティがあって嬉しくて、「日本でも、20年30年前には歌手は若くなければ!子持ちの芸能人なんて!という時代だったのです。私も、たくさんの人と力を合わせて戦って少しづつ変えてきたのです。ベトナムの音楽家もどうぞがんばって!」と、エールを送りました。 ベトナムのことがだから、何がどうなっていくかは、私も確信はないのですが、なんだか素晴らしいチャリティコンサートができそうな予感がします。
横井久美子 2005年3月21日 |
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