Kumiko Report 3/23/2005
ベトナム報告No.3

ベトナム報告を見た人が「笛のトゥク君は、以前テレビで見た人かしら?」と。そうです。日本のテレビ局が取材に来て、枯葉剤被害で全盲になったトゥク君が出演し、笛をふいたそうです。

さて、ホーチミンで「チャリティコンサート」の話が盛り上がった翌日、私は一人、飛行機でハノイへ。ホーチミン、ハノイ間は2時間。いよいよ降下するので、シートベルトを、のアナウンス。しかし、なかなか降下しない。しばらくしたら霧で飛行機がハノイ空港に降りられないというアナウンス。ホーチミンに舞い戻ったらホテルはないし、、。機内は、フランス人の観光客が多い。結局、1時間もハノイの上空を旋回し、ハノイ空港に着陸。ドシンと滑走路に着いたトタン、みんな拍手。良かった良かった。でも、外はもう真っ暗。ベトナムに限らず、アジアの空港に一人で、夜、到着するのは、どうも好きじゃない。タクシーで無事ホテルに到着。

翌日は、昨年、大活躍をしてくれたハノイ大学に留学中の通訳の設楽澄子さんと、「子ども基金」に挨拶。会長、副会長とも女性で、親しみ深く対応。「今年は、ホーチミンでコンサートするなら、来年はまたハノイでしましょう」「あなたはますます綺麗になって」と、ベトナム女性はほめるのもとても上手。

身体をまっすぐに支える器具 平和村にて

午後は、「平和村」へ。何人かが「くみこ」と私の名前を呼んでくれた。フン所長に、「施設で必要なものは?」と聞くと、歩行練習機や、歩行器が足りないという。ここでも、自分達で古いものを改良して造っているそうで、どんなものか見せてもらった。また、現在、私がDVDを制作している話をして、「平和村」に泊り込んで撮影した子ども達の様子も映っているので、その収益をカンパしますと伝えた。その後は、ベトナム日本友好協会へ。理事長のニャンさんは、ファーストアルバム「横井久美子ハノイにうたう」にも通訳の声が入っている。


小松さんと澄子さん
翌日は、「子ども基金」の推薦で、ハノイから3時間ほどのタイ・ビン省の枯葉剤の障害児施設に。ベトナム戦争は中部が激戦地だったが、北では、このタイ・ビン省が貧しさの故、たくさんの兵士を送り、その結果、枯葉剤の被害者が北では一番多いという。ベトナムでは、外国人がハノイを出て、別な省に行くのに、名前を申請し、許可書が必要。

タクシーの予約やら何やらすべて澄子さんが。そして、朝6時半、ハノイ在住の友人の小松みゆきさんと澄子さんと3人で出発。運転手は、日本にも企業の関係で行ったことがあるというおとなしそうな中年男性。女三人、あれこれ話に花を咲かしてピクニック気分。2時間ほどでもうすぐタイ・ビン省というところで、交通警察が止れの合図。「スピードの出しすぎ、免許証を見せなさい」という。

ベトナムに長く住む小松さんは、「スピードなんか出していないのに、こうして止めて、ワイロを出させるのよ」と余裕。ところが、何という、そんなことありか!なんと、その運転手は、自分の免許証を持たずに、人の車で、人の免許証を役人に見せたのだ。私服もいて、運転手は連れ出されなんだかんだと外でやり取りしている。だいたいこのタクシーは、ベトナム最大の国営ツーリストに事前に予約して、お金も払って、立派な領収証もあるのだ。個人の車でなくて、タクシーなのに、免許証を持たないなんて考えられなーーーい!

喫茶店 喫茶店は自転車の修理もする
ノンの女性

雨がふる寒いなか、止められたところは一応、要所の十字路で、角にバイクタクシーのにいちゃん達がたむろし、そこは茶店らしいが、私には、夏の縁台を出してたむろしているようにしか見えない。ツーリストの会社に電話をして事情を話しても、担当者は、もうすぐ話がついて出発できます、というが、時間はどんどん経っていく。それでも、ベトナムをかなり知り尽くしている小松さんは余裕で「今に見えないところに行って、ワイロの受け渡しをするから。出発できるわよ。私達は車のなかでじっとしていた方がいいのよ」。

が、若い澄子さんは、もう必死で、「このタクシーの中におられるお方は、枯葉剤被害に心を痛められ、昨年は、元副主席主催でコンサートもされている方で、今からその施設の訪問に行くのであられます」と勿体をつけて言ったらしいが、「あっそう。それはありがとう!」と、簡単な礼は言われたそうだが、、、。交渉は澄子さんに任せて、私と小松さんは車の中。でも、寒くてトイレ行きたくなってきた。もう草の中でするしかないかな、と思っていたら、通りの家が貸してくれた。

ぐすぐすしている運転手に、いよいよ私服が怒り出した。もうこの車は1ヶ月没収!運転手も連れていくので、あなた達は降りなさい!怖い顔で怒鳴る。さすが、余裕の小松さんも降りましょうと決断。もう施設にも行けないどころか、このナーンニモナイところで降りて、いったい私達はハノイに帰ることができるのか途方にくれる。

値段の交渉 やっと手打ち

ところが、バイクタクシーの兄ちゃん達は以外に親切で、もちろん最初はこのバイクに一人づつのってハノイへ、といわれたが、タクシーを呼んでくれた。何だタクシーが呼べたのだ。さあ、それからハノイまでいくらで私達を乗せるか澄子さんが交渉。こういう時の澄子さんは頼もしい。5,6人の兄ちゃん達に囲まれてもものともせずタクシー代をまけろという。やっと5万ドン(3500円)を47000ドンにまけさせた。

ハノイへのタクシーの中、無線が聞こえてきた。「あんた、せっかく外国人を乗せているのに、吹っかけないで、どうしてそんな安い値段でハノイに行くのよ」 助手席に座った澄子さんを見ながら、運転手「だって、コイツもうすごくベトナム語がうまくて、ベトナムのいろんなこと知ってるぜ、こっちがやり込められるんだよ」 

こういう若い女性が海外で活躍しているのは、本当に日本人の誇り、鑑です。小松さんもいてくれて、女三人いれば怖いものはない。
私達は、無事ハノイに帰り、ビールで乾杯し、帰還を祝ったのでした。めったにできない経験ができたことが最大の収穫でした。ホーチミンもハノイもいい旅でした。

横井久美子
2005年3月23日

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