Kumiko Report 3/30/2005 |
にんげんをかえせ 昨日、「東原爆訴訟」の判決があり、その後の集会に参加し、歌った。「東原爆訴訟」は、東さんのC型肝炎は原爆症に認定され勝訴した。 2週間ほど前、「原爆集団訴訟全国弁護団」団長の池田弁護士から、「集会に横井さんがきて歌ってくれると皆明るく元気になるから弁護士会館の集会にきてくれない?」 と、電話があった。私は、コスタリカから元大統領夫人カレンさんを日本に招聘したり、平和のための数々の裁判を手がけてきた池田眞規先生を弁護士としていたく尊敬している。その先生の頼みだから断れない。午前中は「事前交流会」があったが、「間に合いますから伺います」と返事した。でも、高齢の被爆者の前で何を歌い、なにをすればいいのか。 前夜10時頃、連日続いている「事前交流会」で疲労困憊し早く寝ていたところ、また、池田先生から電話があった。「横井さん明日だからね。なに歌う?僕も横井さんのCDをズット持って歩いて考えているんだよ」とのこと。私は、その先生の熱意に動かされ、急にひらめいた。「そうだ、やっぱりあの詩を、作品にしよう!」 起き上がって、寝室から仕事場へ。 1945年28歳で被爆した峠三吉の「原爆詩集」(1952年)の「序」の「ちちをかえせ ははをかえせ 」という有名な詩である。英詩も入れて、いろいろメロディを考えてみたが、「アメージンググレイス」にこの詩がとても合うのを発見して、ほんの少しメロディを変えて創ってみた。 翌日、「事前交流会」終了後、霞ヶ関の弁護士会館に向った。たくさんの被爆者も参加したその勝利集会で、その部屋では楽器は使えないというので、アカペラ(無伴奏)で歌った。目頭を抑えている年配の方もいた。そして、その後の厚生労働省前の「国は控訴するな」と抗議行動にも参加し、歌った。 耳慣れた崇高なメロディに53年前の峠三吉の悲しみ、怒り、祈り、願いが乗り移って、戦後60年の今、蘇った。歌っていてそう感じた。これは、私が歌うべき歌だと思った。被爆国の日本の国民の一人として、原爆のさまざまな問題に関わりたいとは思いながら、忙しさにまぎれていて何もできなかったが、歌が生まれてやっとその機会が訪れた。 5月2日〜27日までニューヨークの国連でNPT(核不拡散条約)再検討会議が行われ、その期間に世界から100万人の人たちが集まり、「核兵器廃絶」の声を届けようという要請行動がある。私もそうした行動に参加したいけれど、ベトナムツアー&コンサートが5月4日から始まるので残念。でも、きっと、また、機会があるでしょう。核兵器廃絶が達成される日まで。 横井久美子 2005年3月30日 |
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