Kumiko Report 5/9/2005
夢のような12日間

ベトナムから今日帰国しました。40度近い熱風のホーチミンから成田に降り立ったら寒いくらいでホッとしました。半月近くホーチミンに滞在し、夢のような12日間でした。

28日、夜10時、ホーチミン空港に、ベトナム外務省からの通訳の藤原さんが迎えに来てくれて、パレスホテルへ。
29日、夕刻から行われる「ホーチミン市〜輝く真珠」という前夜文化式典に行くために、ロビーに行くと、元朝日新聞ハノイ支局長などを歴任されたジャーナリストの井川一久さんとお会いしました。日本人で招待されたのは、同じく元朝日新聞記者の本多勝一さん、東大副学長の古田元夫さんなど6人とのこと。でも、今夜は私と井川さんと二人だけで、他の国際代表と前夜祭の行われるホーチミン市民劇場前広場へ。


すでにあたりはいっぱいで、私たちは、群集をかきわけ、市民劇場前に作られた70メートル位の大きな舞台の真正面の一段高くなったVIPの席に座った。正面に巨大なスクリーン、そのスクリーンをはさんで、左側にオーケストラ、右側には、合唱隊、前面にベトナムの大太鼓が数十個並んで、私たちが着席するとまもなく太鼓のダイナミックで壮麗な音楽から開演。


第一部の「Pride of Nation」は、スクリーンと連動したミュージカル仕立ての舞台で、ベトナムの王朝時代から、フランスとの闘い、アメリカとの闘い、庶民の戦争中の貧しさ、苦しさ、南ベトナム民族解放戦線の戦い、30年前の南北統一、そして、ドイモイ後の経済発展が語られる。

ベトナム人は、色彩感覚と舞台美術にとても優れていると思った。ライティングの素晴らしさ。また、スクリーンを使った歴史表現。ホーチミンはじめ歴史的人物や有名な戦いの場面が映像に登場した。外国人は、ジェーン・フォンダだけだったが、スクリーンに大きく彼女の顔が写された。




ジェーン・フォンダは。1972年にベトナムを訪れ、アメリカのベトナム政策を非難した。そのため、アメリカ国内ではハノイ・ジェーンと誹謗、揶揄され、一時、そう発言したことをアメリカ国民に謝罪した。でも、一方で密かにベトナムに資金援助をしていたという話もある。同じ時期、ジョーン・バエズがハノイを訪問しているが、ちょうど、ニクソンの北爆に居合わせ、地下壕に避難した外国人記者の前でしか歌っていないので、ベトナムでは、バエズの印象は薄い。ちょうど同じ時期、櫛田ふきさんが、バエズとその地下豪で一緒になった話は有名。


ホーチミン

 

解放戦線


第二部は、各国からの文化使節が公演。タイやインドネシアの伝統的な舞踊や曲芸などもあったが、中頃で、日本は、マリンバと、シンセサイザー奏者が一人づつ演奏。他の国が、民族的伝統的音楽をグループで演奏したのに対し、なかなか、シンプルで独自性があってよかったと私は思った。ただ、まだまだ演奏が延々と続きそうなので、私達は、日本人の演奏が終わった頃を見計らってホテルに帰った。

こうした国の総力を挙げた文化式典は、その国の文化的な総合力が試される。私は、この文化式典にすごく魅了された。1986年ニカラグアの革命6周年式典のやはり前夜祭に参加し、感動しっぱなしだったけれど、それと同じくらい、いやそれ以上に感動した。ベトナムはスゴイ国になっているゾ!と翌日からの日々に期待が膨らんだのです。

横井久美子
2005年5月9日

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