Kumiko Report 5/14/2005
マングローブの森へ

5月4日、日本からツアーの方達がホーチミン空港に到着。記念式典後、2日間一人でいたので、とても日本人が懐かしかった。
その日は、皆さんお疲れかれかと思ったのに、すぐその足でホーチミン市の最大の市場であるベンタン市場へ。

翌日は、クチのトンネルに行くグループとマングローブの森へ行くグループに分かれて行動。私は、クチには何度も行っているので、マングローブの森へ。朝、7時にホテルを出発し、南の目的地ヘ向った。ベンツの大型車であったが、道が悪くて心地よくない。ヤット3時間あまりでカンザーに到着。



ルンサック解放軍基地の跡を見学。ガイドのフンさんが話してくれた。マングローブとは、熱帯の海岸沿いの海水と淡水が混じりあう場所に生育する植物の総称で、マングローブという木の名前はなく、マングローブと呼ばれる植物は熱帯や亜熱帯に90〜100種類ほどあるそうです。資料館には、戦争前にあったたくさんの種類のマングローブが展示されていた。

このルンサック解放基地は、海からのアメリカ軍侵攻と戦った最前線基地で、1000名の特殊部隊がいたが、戦争中826名が死亡したという。特殊部隊のたたかいは、アメリカ軍との戦いよりメコン川に棲むワニとの戦いで、ワニによって命を落とす兵士がたくさんいた。アメリカ軍を眩ませ、軍用犬に匂いをかぎ付けられないように、兵士は裸になって外で生活し、自然と同化し、自然の一部となる訓練をしたという。アメリカ軍は、特殊部隊の作戦に閉口し、今度は、少しでも動くものを見つけられる能力を持つアヒルを投入したそうだ。ところが、アヒルの嫌いなものは、蛇だから、部隊は、蛇ににたねぎを持って行動したというのです。こうして、ここの特殊部隊は、アメリカ軍の石油基地を壊滅したりして、勝利へ大きな貢献をしたそうです。

陸地でのクチのトンネル作戦の英知、そして、メコンデルタでのこうした作戦。やはりベトナム戦争は、自国の山河を知りぬいたベトナム側の戦略が勝利を導いたのだ。でも、こうしたベトナム側の抵抗に、行き詰ったアメリカは、殺しつくし、焼き尽くすという枯葉作戦を用い、大量の枯葉剤をマングローブの森にまき、マングローブの森を丸裸にしたのです。


基地の説明のあと、網の目のように走っているメコンデルタのクルーズ。うーん!とてもとても快適でした。アイルランドのアラン島も、荒涼とした地にストーンウォールが石のレースのように張り巡らされ、日本人としてはじめて目にする風景だけれど、このマングローブの森のなかのクルーズも同じような新鮮さ。

でも、もうあんなデコボコ道だったら再訪はしたくない!というほど往復6時間余のドライブは大変だったが、道路は工事中で、来年あたりはきっと時間も短くなり快適に行けるらしい。ただ、ベトナムは、全土開発真っ最中なので、だんだん、こうした戦争の傷跡が見られのも、ここ数年ではないかと思った。だから、やっぱり、マングローブの森は行ってよかった。すべて「百聞は一見にしかず」です。

横井久美子
2005年5月14日

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