Kumiko Report 5/16/2005
枯葉剤被害支援コンサート

5月7日8日、ツアーのメンバーは、メコン川クルーズと水上マーケット、野鳥の楽園バードサンクチュアリを楽しむために、ベンチェから更に南のカントーに向ったが、私は、8日、2000名の室内競技場で予定されている枯葉剤被害支援コンサートのリハーサルがあるため、また、ホーチミンに戻った。

このリハーサルが大変だった。全国ネットのテレビの生番組なので、リハーサルが必要だから早く来てと何回も言ったその本人がなかなか現れない。私は澄子さんと二人で暑い大きな体育館で待っていたが、その間、他の歌手のリハーサルが行われていて、そのカラオケの大音響にもう閉口した。耳がどうかなると思って外に出て私たちは待っていた。

このコンサートは、入場料を枯葉剤被害者に贈るということで、私は出演することにしたが、ベトナムの若いアイドル歌手が出る番組で、ベトナムで若い人に一番読まれている新聞や
http://www2.tuoitre.com.vn/Tianyon/Index.aspx?ArticleID=77121&ChannelID=58
英語版の「ベトナムニュース」にもずいぶん掲載され宣伝されていた。
http://vietnamnews.vnagency.com.vn/showarticle.php?num=01MUS070505


でも、記事は「日本とフィリッピンの歌手ベトナムの歌手と共演」「横井久美子ー1972年、アメリカのベトナム戦争反対でハノイの高射砲部隊兵士の前で歌った有名な歌手。日本から桜の国の音楽をもってベトナムに来ます。フィリッピンの歌手、ディドバイヤーは、2004年アジア音楽祭で入賞。5月8日、20時から第七軍区のスポーツ会場でコンサートを開く。これには、カシン・ホアン・ヴィーとトアン・フンも出演する。」とだけ書かれていて、枯葉剤のことは書かれていない。


外の看板

それはともかく、もう、私は、ダンスのバックを従えて歌っているアイドル歌手の大音響に絶えられなくて、イライラしてきて出演をやめたいと思うほどだった。また、一方たった一人のギターで、この大音響軍団だと戦えるかと思う気持ちもあった。でも、こんなに新聞で宣伝されているし、外には、私の背丈の3倍もあるギョッとするほどの大きな私の大看板が立っている。もうやるしかないとは分かっていたが、、、。

それにしても、それほどリハーサル、リハーサルと言われて演奏したのに、それは、文化局の役人が並んで見た、いわば検閲のためのリハーサルだった。私たちの専門用語でいうゲネプロとか、場当たりとかサウンドチェックなどもなかった。それでいて、明日の本番は、1時間前にくればいいと言われたのだ。ナーンだと気抜けする一方、オイオイ、じゃ私はどこから出て、どこに引っ込めばいいのか、マイクの音量はどうなるの、などなどものすごく心配。


司会者

勲章を見せる

結局、8日当日は、本番2時間ほど前に入って、汗まみれになりながら、出入りや立ち位置も決め、ドサクサの中、本番がはじまった。私は、その夜帰国ということもあり、スタートのダンスのプログラムの次だった。さくらの花の真ん中が開いて私が登場。私は、ステージに立つととても落ち着いてきて、また、こんな大きなステージで歌えることがぞくぞくするほど嬉しくて、ギター1本でも、アイドル歌手に負けないぞ!と張り切って歌うことが出来た。司会者とのトークでも、勲章をもらったことや、このコンサートが枯葉剤の子ども達の支援になっていることが嬉しいと話した。「げんげんばらばら」を歌っているとスモークがたかれ、煙にまかれながら「私はそんなこと聞いていなヨ!」とおかしくなりながら歌っていた。


圧巻は、「さくら」だった。1番は私一人で、2番になると羽織ハカマで能面をつけたベトナムの男性歌手アイン・バンさんが歌いながら桜の花の中から登場。3番は、もう大音響のこれは生バンドがついてクラシックぽく、二人で競争して張り上げた。申し訳ないけど、私の演奏も含めて音楽的にどうこうという世界とは程遠かったけれど、歌ったということが爽快だった。


それにしても、このベトナム人の騒音文化はどこからきたのだろう。民族的な伝統音楽は、一弦琴や16弦琴など静かな音楽なのに。ベトナム各地で聞く歌謡曲やポップ音楽などは、大体カラオケがバックだ。そういえば、昨年の子ども宮殿でも、私たちは、バイオリンとギター2台と歌、コーラスだったけれど、ゲストで出た有名歌手は、民謡を大音響のカラオケを使っていた。だから、若者音楽がダメというわけでもない。フィリッピンの歌手のカラオケも、音量的には大差なかったが、十分聞くことが出来た。ベトナム人のカラオケの音作りが、私には、ベターッと大きいままで肉体的拒否反応がでる。間がないのだ。ホーチミンでも、ハノイでも、バイクの洪水で、その騒音のなかで人々は暮らしている。そうした日常が耳を麻痺させているのだろうか。パーティの作り方でも、舞台で素晴らしい民族楽器や舞踊の出し物を用意して大歓待してくれて、それをバックにテーブル毎に懇談しましょうというスタイルが多い。でも、日本人の私たちは、音が気になり、せっかくいい出し物があるのに、見ないと悪いと思ったり、懇談に集中できない。ベトナム側は精一杯歓待してくれているのに、私たちは、音に疲れてしまう。こうした点に私たちは、すごく文化的な違いを感じる。日本でも、ワビ、サビ、マの世界は失われつつあると思っていたが、やはり私たちは日本人なのだ。今回も、一夜にしてこれだけの舞台装置をつくってしまう能力や色彩感覚は凄いと思ったが、ベトナム人のこの騒音文化については、私の研究課題。


私たちは、大音響の会場を逃げるようにして、そのまま空港に向った。空港の待合室で、今までいた会場からの生中継を見た。「私たち今まであそこにいたのねぇ。そう思うととても不思議ねぇ」と、誰かが言った。テレビからは大音響を出しているようには聞こえず、音も舞台も会場もとてもステキに見えた。

横井久美子
2005年5月16日

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