Kumiko Report 5/17/2005 |
嬉しいWeb記事 12日間の夢のようなベトナム報告の最後は、枯葉剤被害支援をしている私について書かれている嬉しい記事を紹介します。この記事を書いた記者は、ベトナムで若い人に一番読まれているというTuoi Tre という新聞社の若い記者で、私のことを知ると、グングン何度も迫ってきていろいろ質問してきました。1973年に高射砲部隊の兵士の前で歌っている写真を見せると「もらっていいですか」と持っていった。記者らしい記者だなぁと感心して、インタビューに応じました。本当は彼は、この記事を新聞に載せたかったのですが、Web記事になってしまったといっていました。*は私の訂正です。 Tuoi Tre (若者)紙 2005年5月6日(金) http://www2.tuoitre.com.vn/Tianyon/Index.aspx?ArticleID=77380&ChannelID=10 横井久美子とベトナムの願い 日本の女性歌手横井久美子は、ベトナムで、自身の歌が枯葉剤による障害を受けた子どもたちに喜びをもたらすことを願っている。 彼女はまた、自身のさまざまなコンサートによって集められた資金が子どもたちの物質的な負担を軽くし、よりよい生活を送れる助けになれればと願っている。 横井久美子とベトナムとの縁はかなり以前に遡る。1970年代はじめ、彼女は日本で多くのベトナム戦争反対デモ活動に参加した。1973年に彼女は初めて北部ベトナムを訪れ戦争の被害を目の当たりにする。バクマイ病院、ハノイの痛ましい風景は決してこの多感な芸術家の心の中で色あせることはなかった。またその行程の中で彼女はクアンビン省の部隊を訪れ、歌によって戦士たちの精神を高め、「戦車は動けない」の歌を歌って平和を讃えた。 1994年に彼女は再びベトナムを訪れ、ハノイ(*本当はホーチミン)ではじめてのコンサートを開き枯葉剤の被害により貧しく障害を負った子どもたちへの基金を呼びかけた。それ以降現在まで、彼女はベトナムで大きなコンサートを8回行っている他、全国各地の障害児施設で交流コンサートを何十回(*数回です)と行っている。日本に帰国しても、彼女はこうした不幸な子どもたちのことを忘れずコンサートに力を注ぎ、CDを販売して基金にした。(*これはこれからの話でDVD「歌にありがとう」の純益を贈るつもり)彼女がベトナムの子どもたちのために集めた基金は多く、彼女自身もどれくらいかはっきりは思い出せないほどである。 彼女は枯葉剤被害者の運命について非常に関心を持っており、枯葉剤を生産したアメリカの化学会社に対するベトナム人の訴訟を完全に支援すると述べている。彼女はニューヨークの法廷が出したこの訴訟を受理しないという判決にがっかりした。「ベトナムは戦争に勝利しましたが、まだ多くの痛みが残っています、その中でも枯葉剤は大きな痛みです」と彼女は語っている。 5月初頭のインタビューの中で、彼女は2つの歌を日本語に訳したことを自慢していた。彼女がいつも歌っている「大勝利の日にホーおじさんがいるようだ(ファム・トゥエン)」と「チョーコン(ファム・チョン・カウ)」(*まだ完成していない。この他に「私たちの夢は平和」も日本語にした)である。ベトナムに対して行ったことでもっとも大きなことはと聞かれると彼女は少し考え込みそして恥ずかしそうに笑って首を振った。「そのことについて私は考えたことはありません」。 (翻訳 設楽澄子) 横井久美子 2005年5月17日 |
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