Kumiko Report 7/2/2005 |
帰国しました! 2週間に及ぶギリシャ・トルコ観光ツアーから昨日帰国しました。 なぜ、このツアーに参加したかというと、私のDVD「歌にありがとう」の中でも紹介されていますが、今年の4月に筑豊じん肺訴訟が、最高裁判所で勝利し、その勝利解決記念ツアーに、弁護団から招待されたのです。この中心的な福岡の弁護団とは、スモン訴訟の頃からの付き合いで、94年にも南アフリカをご一緒していて、本当に楽しめる先生たちであることは実証済みで、自費でも行くから連れて行って!と言っていたのです。ホントにホントに楽しかった。夢のような2週間でした。 出かける前日まで、「にんげんをかえせ」のレコーディングがあり、その後の作業を残し、疲れもたまっていて、もうキャンセルしないとダメかなと思った時もあったのですが、レコーディングの後始末は安田雅司郎さんに押し付けて、旅立ったのです。成田を飛び立つ時は、以前、オランダのハーグで従軍慰安婦の最終判決に参加した時、ホテルで寝込んでしまったことを思い出し、薬も十分用意しての出発でした。 でも、トルコのイスタンブールに着いて、2日目当たりから体調がグングンよくなりました。考えれば、これほど楽な旅は初めてです。南アフリカの時は、3分の2が調査、交流でしたが、今回はまったく観光旅行。私は、後を着いて行くだけでOK。それも楽しめる仲間(先生)たちと、食べて飲んで笑って。ラクチンラクチン。 ですので、あまり意義深いレポートはできないのですが、とりあえず写真をご披露します。 成田→トルコのイスタンブール→アンカラ→カッパドキア→イスタンブール→ギリシャのアテネ→エーゲ海クルーズ→アテネ→イスタンブール→帰国という旅程で、参加者24人は、弁護士16人、家族4人(5歳から80代) その他(横井含め4名)
トルコでとっても興味を持ったのは、1923年に大統領になって38年に亡くなるまでトルコ共和国の改革に貢献したアタチェルク大統領のこと。アラビア語をローマ字に直したり、選挙制度を確立したり、奴隷にも一定の権利を与えたりして、現在のトルコがあるのは、この大統領のおかげとガイドのフェルファンさんがしきりに言っていた。その後、このアタチェルク大統領より優れた政治家はトルコにはいない!と。大統領はずっと独身で華美なことが嫌いだったそうで、私は、ベトナムのホーチミン主席を思い出した。空港にも、アタチェルク空港と名前がついているのに、私は、まったく知らなかったので悔しかった。だから、つい、読めもしないのに英語の厚い伝記を買ってきてしまった。 ギリシャもエーゲ海クルーズは初体験で、ロドス島やミコノス島に寄港し、エーゲ海の素晴らしさを満喫したが、私にとって特筆すべきことは、エピダウルスの野外円形劇場の舞台に立って歌ったこと。これは、誰でも出来ることだから自慢にならないが、アンコールもあって3曲歌った。15000人も収容できる野外劇場でどんな小さな音でも聞こえるとうのは、ものすごい建築物。紀元前四世紀の建物というのが驚く。 ツアーの最後の日の夕食会の時、私は、弁護団に感謝を込めてギリシャのテオ・アンゲロプロス監督の映画「旅芸人の記録」を見て創った「風の中のレクイエム」を歌った。先生たちは、「拍手を送られるような人生を送ろう!僕達が死んだときには横井さんこの歌を歌いに来てね」と喜んでくれた。ギリシャ人ガイドのバッソウさんがその歌を聞いて「なぜあなたはギリシャの風習をそんなによく知っているのか」といった。「ギリシャでは、お葬式の時、泣くこともあるけれど、偉い人には拍手するのよ」と。また、「テオ・アンゲロプロス監督のことを知っている日本人なんて、初めて」と言われて嬉しかった。私は、現在テオ監督の「エレニの旅」が日本で上映されていて、新聞にはこのところよく紹介されていますよと、言ったのです。歌の生まれた国(現場)で、その歌を歌うことは私の喜びの一つ。ポーランドでは歌ったけど、「おいで一緒に」「なんという胸の痛みだろうか」の歌のチリには行っていないから行きたいなぁ。 私は、歌手としていろんな人と出会い、心の赴くままに歌をつくってきた。じん肺で亡くなった妻の歌「夫へもバラード」も弁護団や原告に頼まれたから創った訳ではない。運動の中で生まれた歌を運動の中で歌って拍手を受けるのは当然だと思う。私たちの仕事は、その人たちに拍手されるのではなく、そうした不正義、不公正な国のあり方にノーと言った人達の強さや清さ、その中に在る人間の美しさを掬いだし音に変えて、じん肺とか運動とか知らない人にいかに伝えられるかだと思う。もちろん、原告の人の心を打たない歌は、「普通の人」の心も打たないのだけれど、、。 1994年に初めてじん肺の原告に出会って、11年が過ぎた。じん肺の人たちからたくさんのことを教えてもらった。最高裁判所の法廷に2回も入ったのは、弁護士でもなかなかないのに、私は2回も傍聴席に入った。最高裁判所の前でも、福岡高裁の前でも、弁護士会館でも、被告企業の廊下でも、宣伝カーの上でも、ハンドマイクでも、歌った。こうして一緒に旅が出来て一番嬉しいのは、私も一緒に戦った一人として仲間に入れてもらっていることだ。それがとてもとても嬉しい!本当にいい旅をありがとう! 毎日、太陽の日をサンサンと浴びたたっぷりの野菜と、美味しいワインを飲み、遺跡めぐりで歩きに歩き、大腿四頭筋を鍛えに鍛え、元気に帰国しました。明日は、「春秋楽座inくにたち夏」で、みなさんにお会いするのが楽しみです。 横井久美子 2005年7月2日 |
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