Kumiko Report 10/19/2005 |
被爆60年大集会 昨日18日、日本原水爆被害者団体協議会(被団協)の「被爆60年大集会-核兵器も戦争もない世界をめざして」が行われ歌いました。 広島、長崎市長のメッセージなどの紹介のあと、小室等さんが「死んだ男の残したものは」など3曲。寺井一通さんが長崎の被爆者の合唱団と共に歌い、その後、私が、原爆症認定集団訴訟の原告の方たちと共に出演し、「にんげんをかえせ」を、訴訟団や会場の方々と一緒に歌いました。そして、そのあと、私が、5000枚のCDが2ヶ月余で普及できたことのお礼を言い、集団訴訟全国弁護団の池田団長に支援金を渡しました。池田団長は、支援金を受け取られたあと、「このCDが100万枚売れたら世の中が変わるかもしれない」と挨拶されました。 その後、広島で被爆した東京訴訟の原告の方は、「なんとしてもやりぬく。生きている間に絶対勝つ」、長崎で被爆した長崎訴訟の原告の方は、「長崎では、原告29人のうち4人が亡くなった。彼らのためにもねばり強く頑張りたい」などと訴えられました。弁護団からは「国は、個人の原爆症認定裁判では、七連敗しているのに、認定制度を変えようとしない」「大阪地裁と広島地裁の訴訟は来春判決で、最大ヤマ場を迎えている」という訴えがありました。 この日、私のちょっとばかしの自慢は、グリーンの綺麗な色の服を着て出演したこと。このところ、東京は雨が続き、昨日も雨。全国から来られる高齢の被爆者を暖かい色で迎えたいと思ったのです。本当はオレンジの服にしたかったけれど、ちょっと寒かったので、グリーンの服に。これがとても好評(?) 舞台がパッと明るくなったと言われました。昨日は、女であってよかったとつくづく思ったのです。だって、どんなにそんな想いがあっても、男性では、そうした色の服を着てステージにでることはないですからね。特別な照明でもあれば別ですが、集会ですから。 集会後、池田団長や京都の尾藤弁護士(11/20 尺八で出演)、神戸の徳岡弁護士(9条の心の立役者)や、東京弁護団の中心メンバーと2次会をしました。そこで、来春にむけて原爆症認定裁判と共に、CDをもっと売ろう! 東京では、12月27日に、今年最後の裁判があるので、その時、また、支援金の贈呈式をしよう!と、飲みながら意欲的な話に花が咲きました。 今日は、被爆者の方々が、政府、国会へ要請行動をしました。衆議院第二議員会館前で集会をするというので、お昼時に駆けつけましたが、会館前は、その他にも、障害者年金の座り込みや、もう一つの集会があり、被爆者グループはその二つの集会に挟まれてしまって休憩中という。次の予定もあるので、私が引き返そうとすると、会館前にテレビのカメラが十数台も。何かと思ったら、大仁田厚参議員議員が、スギムラタイゾー議員を「特訓」するために、衆議院議員会館にくるというので、待っているのだという。ナント情けない。彼らの左隣では、車椅子に乗った障害者や支援者が座り込みをし、議員会館に向って悲痛な叫びをあげているのに。右隣では、被爆者の方たちが「生きているうちに国家補償を」と座り込んでいるのに。マスコミは、小泉劇場をいまだに追い続けている。 午後から、来年3月の「声をあげよう女の会」の打ち合わせへ。そこで、昨夜の集会、今見た国会周辺での光景などを話し、小選挙区制のために、私たちは、自民党が圧勝したように錯覚しているけれど、「錯覚」から早く目覚めさせる運動をしましょうね、などと語りあった。昨日の集会の出番前に、久しぶりに会った小室等さんから「横井さん元気だねぇ」と、いたく感心された。そう、私は本当に元気だ。(写真はわざわざ、岐阜から駆けつけてくださった有田登志彦さん撮影です) 横井久美子 2005年10月19日 追記 本日の東京新聞都内版には「『核廃絶』800人声あわせ」という見出しで、訴訟団をバックにした私の写真が出ていました。写真には「集団訴訟の原告らを背にして歌う横井久美子さん-千代田区内で」とありました。東京新聞は9月23日付朝刊でCDを大きく掲載してもらいましたが、その記事の中の「1枚のCDが核の脅威の語り手になっている」という言葉が、私はとても気に入っています。 |
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