Kumiko Report 11/22/2005 |
よみうりホール満席に! 11月20日有楽町のよみうりホールで行われた「人類は二度と戦争をするな!」は、1000名の方々で溢れ満席になりました。「未来へ輝き隊」はじめ、ご協力いただいた皆さまありがとうございました。 「〜映像と証言と歌による告発〜今、ヒロシマ、ナガサキ、ベトナム」という副題のとおり、長崎の被爆者の谷口稜曄(スミテル)さんの国家への静かな怒りを秘めた語り口のお話。枯葉剤被害者をずっと追い続けている中村梧郎さんの写真と講演。お二人とも短い時間の中で非常に密度の高い胸を打つお話をしていただきました。 |
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11月20日のプログラムは以下の通りです。 ♪ヒロシマ バイオリンでジョルジュ・ムスタキのメロディが流れ、幕があがる。映像は、ヒロシマ、ナガサキ、ベトナムを象徴する映像に「人類は二度と戦争をするな」の文字が。 ♪明日への伝言 10フィート運動で生まれたいずみたくさん作曲の歌 「焼き場に立つ少年」を朗読で。その後、尾藤廣樹さんの尺八で「にんげんをかえせ」のメロディがあり ♪にんげんをかえせ そして、長崎の原爆投下直後の写真や「赤い背中」の写真を映し、谷口さん登場。 少しだけ横井が質問をしながら30分トーク。「空襲警報すら出さなかった国には、国家としての責任がある」と、谷口さんの静かで激しい怒りが客席に伝わる。 その後、73年のハノイでの横井のライブの音が流れ、映像は、ハノイ近郊の高射砲舞台の兵士の前で歌っている写真や、バクマイ病院での写真が出て、 ♪「戦車は動けない」 写真家の亀井正樹さんが撮った「平和村」の子どもたちの映像を流しながら ♪「私たちの夢は平和」を歌う そして、中村梧郎さんの映像と講演に移る。30分の短い時間の中で、笑いを誘いながら、枯葉剤による残虐な被害の実態を伝え、また被害者のその後を伝える。 中村さん終了と同時に雰囲気をガラッと変えて、(衣装も変えて) ♪リリーマルレーン ♪四月のカーネーション ♪アマンダの思い出 ♪私の愛した街 ♪にんげんをかえせ 尾藤弁護士の尺八をバックに谷口さん、中村さん再登場、会場と共に「にんげんをかえせ」を歌い、終了すると、花束か会場からいくつも贈られた。幕がおり、アンコールになり、再度幕が上がって、「おなじ空おなじ子ども」を会場の方々と一緒に歌って、再び幕が降りました。 短時間でもサインをと思ってロビーに出ると、人、人、人でした。開場前もホールのある7階までの階段にズラリと皆さん並んでいたそうです。谷口さん、中村さんもサインしてくださったので、それぞれの本がまたたくまに売れました。 |
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私は、35年間、いろんな場で歌ってきました。最高裁判所の前、被告企業の会社の廊下、ストリート、春秋楽座のような素顔のままの小さなライブ、1万人の体育館、そして、多くは、音響や照明のあるステージ。私は、この企画をするとき、ステージで生きてきた人間として、映像も、講演(証言)も、歌も、同等のメッセージ性があるはずだ。進行が美しければ相乗効果を生み出し、絶対スゴイことができる。今までのような一般的な集会ではなく、新しいタイプのシャレた「メッセージライブ」を創ってみたいと思っていました。その一歩を踏み出したような満足感があります。ユニークな集会として、新聞各紙も取材してくれました。 ただこうした想いを実現できたのは、コツコツとチケットの普及をし、当日は当日で、朝九時から集まって機材の搬入や受付、販売、会場整理などをしてくれた「未来へ輝き隊」の皆さんがいたからです。二次会には、新聞記者を含むたくさんの方々が参加してくれましたが、ある方が言いました。いまどき、組織もなく、このテーマで1000人も集めた「輝き隊」ってすごいよ!いったいどういう人たちの集まりなんだ!と。 当日の「原爆症認定裁判」「ベトナム枯葉剤被害者の会」への支援カンパは、170400円でした。郵送で届いているので、まだ、これから増えるかもしれません。等分して、「原爆症認定裁判」には、12月27日、今年最後の裁判のあと、CD「にんげんをかえせ」のカンパとあわせて、贈呈いたします。 「ベトナム枯葉剤被害者の会」へは、横井と中村梧郎さんが、呼びかけ人になっている「枯葉剤被害者を支援する日本委員会」として、二人の名前で、来年5月、ハノイに行った時、お渡しします。支援カンパをありがとうございました。そして、成功にお力添えを頂いた皆さん、ありがとうございました。 横井久美子 2005年11月22日 |
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