Kumiko Report 12/15/2005 |
行ってきました、大阪地裁 昨日14日、全国で最初に結審の近畿原爆訴訟の傍聴のために、大阪地裁へ行ってきました。近畿の判決の成否が、全国の裁判に与える影響は大きいので傍聴することを決意。インターネットで大阪地裁の場所を調べ、電話をして確かめ、新幹線で、新大阪に着き、地下鉄で淀屋橋で降りて地裁に着いた。テレビ局も数社来ていて、入廷する場面から撮影。 全国から支援者がつめかけ、傍聴席は入れない人も。11月20日に尺八を吹いていただいた尾藤弁護士がトップバッター。「にんげんをかえせ」の詩を引用し、落ちついた声で弁論される。CD「にんげんをかえせ」も裁判所に証拠として提出されているそうです。 法廷の壁には、パワーポイントで原爆当時の映像や、陳述の言葉などが写されていた。老練な弁護士、若手の弁護士が交互に、熱く、また冷静に話される間に、6人の原告が被爆してからの60年間の苦しみ、痛みを述べた。ある原告は、車椅子から、ある原告は、喉頭がんのため声を失って代読で、ある原告は、途切れ途切れの押し出すような言葉で。(パワーポイントで映し出される文字が私たちの理解を助けた) 私は、傍聴しながら泣いていた。「ヒバクシャ」「ヒロシマ」「ナガサキ」は、世界語になっている。「ヒロシマ」「ナガサキ」には、原爆の残酷さを知るために、毎年、世界中の人が訪れる。しかし、2005年12月14日、今、この時、大阪の街の真ん中で、呻くような叫びを上げて、裁判長に頭を下げている「ヒバクシャ」がいる。この現実を、世界中の、日本中の何人の人が知っているのか。 フランスの歴史学者アラン・コルバン氏が、先月来日し、次のように言っていた。「ヨーロッパでも、60年を記念する多くの行事が行われたが、実際は過去への関心は薄れている。セレモニーは盛んだが、歴史の経験を軽視する傾向が強まっている。私は歴史の記念碑化と呼んでいる。歴史の深みや重みへの関心が失われ、社会全体も奥行きがないものになってしまったような気がする」(11/24朝日新聞) 「被爆60年」を「記念碑化」してはならない。それどころか60年間も責任を放棄してきた国に対して、今「ヒバクシャ」は、病苦にさいなまれた体をおして「国が償いを!」と、国家補償を求めて日本各地で立ち上がっている。「被爆」は今日的テーマなのだ。「ヒバクシャ」という言葉はあまりにも有名で、だからこそ、多くの人は、すでに国が十分な支援をしていると思い違いしている。11月20日、よみうりホールのメッセージライブが終了した時、参加された方から「おめでとう」と言われた。言った方は、「ご苦労様、終了してよかったね」という気持ちであったと思うけれど、私は、「おめでとう!じゃない。これからはじまるのよ」と言った。 いよいよ来年は、終わっていない「ヒロシマ」「ナガサキ」を、私たちのやり方で、文化の力でどれだけ多くの人たちに伝えて行けるかが勝負。集団訴訟も大きな山場を迎える。地裁傍聴後、集会があった。会場に入りきれない人たちが、熱気溢れた素晴らしい結審の感想を話し、私も挨拶をした。 その後の二次会は、全国弁護団の副団長である尾藤先生を囲んで、熊本、名古屋、東京の先生たちと楽しい話をし、東京に帰る新幹線の中では、「にんげんをかえせ」CD企画グループの若い先生たち5人と、ビールと柿の葉寿司を食べながら、更に更に話が弾み、盛り上がった。さて、今年最後の東京の訴訟は、12月27日。そして、終了後、厚生労働省前で、キャンドルナイト行動をし、2回目の、「にんげんをかえせ」の支援金の贈呈をします。年末ですが、どうぞ、お出かけ下さい。 12/27(火) 原爆症認定集団訴訟・証人尋問と『被爆60年しめくくり』厚労省前行動 11時00分〜11時30分 公正判決署名提出行動 (弁護士会館1階ロビー集合) 13時15分〜16時30分 証人尋問 (東京地裁103号法廷) 16時30分〜 勝利をめざす厚労省前キャンドル行動 横井久美子 2005年12月15日 |
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