Kumiko Report 12/28/2005
裁判傍聴&キャンドルライト行動

12月27日(火)、東京地裁で原爆症認定裁判があり、年末というのに傍聴席はいっぱいで、輝き隊も私を含め5人が参加。大勢の傍聴者に嬉しくて、私たちは、不謹慎にもこれから私たちは、「法廷オバンーズ」と命名しょうとか、いや、「法廷オバン隊」にしようとか盛り上がっていた。

原告側の証人尋問は、遺伝学の権威である市川定夫埼玉大学名誉教授。輝き隊の学習会でもお呼びした中川弁護士がトップバッターで質問。中川先生は、声がクリアで落ち着いていて聞きやすい。このやり取りが本当によかった。こんなに手に汗握る生き生きとしたライブを2時間半もタダで聞いていいのだろうかと思ったほど。

市川先生という方は、いったい何者かという知識がない私は、最初に、中川先生が、書類を示し、「これは証人の主な著書ですね」と尋ねた時、「私は、98パーセントは、英語とスペイン語で論文を書いているので、この日本語の論文を、主なといわれても困ります。ほんの一部ですね」と、切り返されてびっくり。熱が入ってついマイクに手があたり「オットット・・・これは証言ではありません」と余裕たっぷりで傍聴席からも笑いが起こる。2番バッターの先生の質問がマイクから遠かったため、「声がはっきりしなくて聞き取りにくい!」とか、弁護士にも指摘をするなど型破り。




市川先生の話される内容は素晴らしかった。市川先生は、1965年アメリカのブルックヘブン国立研究所研究員として放射能の影響を研究し、1967年京都大学助手として微量放射線の影響の研究を続け、1979年同大学教授として微量の放射線核種の生体濃縮とその影響、様々な人工化合物の変異原性、放射線と人工化合物間の相乗効果などを研究されたこの道の権威。

ベータ線とかアルファ線とか、難しい用語がいっぱい出てきたが、それでも、先生の長年の研究によって科学的(化学的?)論拠でもって、どんな微粒の放射能でも、遺伝子に影響を与えることが恐ろしいほど分かった。原爆は、熱線と放射線と爆風の三つが結合的にはたらいて、目や、耳や、口や、鼻、毛根、皮膚、空気、水などあらゆるものから放射能が入ること。体内に滞留した放射能は、骨の内側の表面に沈着し、造血機能がおかされ、遺伝子をかく乱し、突然変異的にガンなどの病気が出てくること。

だから爆心から2キロメートル以遠は、放射能を浴びる量が少ないから認めないという国の主張ははオカシイ!国は、原爆、原子力の問題を過小評価しようという傾向が強い。放射能の研究はどんどんすすんでいるのに、昔のままのデータで、安心材料として小さく見せる道具として使われているなどなど。胸のすくような発言をされ、傍聴席の多くの人がもその度にうなずいていた。

ただ、田中ヒロさんの隣にいたヒバクシャは、「微量放射能は体に影響ないと言って欲しかった」と言われたのを聞いたそうだ。ヒロさんは、「私たちは、知らないことをいっぱい知ってヨカッタ。先生の話は原告有利と思ったけれど、本当にヒバクシャの気持ちを思うと切ないよね」と。

2時間半があっという間に過ぎて、法廷が終了したあと、私は感動して、ミーハーよろしく市川先生に握手してもらいに駆け寄ったのです。また、厚生労働省前の報告会で、先生は、2月の国側の反対尋問の時は、「検事をぶっ飛ばしてやる」と発言されていた。本当に頼もしい先生です。絶対反対尋問も聞いてみたい!興味を持って市川先生の別な場での発言を以下に見つけました。
http://www2.gol.com/users/amsmith/koen1.html

さて、報告会では、私は第二回目のCD「にんげんをかえせ」の支援金と、11月20日よみうりホールでのカンパを原爆症認定訴訟支援ネットの代表の方に手渡しました。宣伝カーの上では、若者たちの歌もあり、だんだん日が暮れて「キャンドルライト行動」にふさわしくなり、私もキャンドルを持って「にんげんをかえせ」を厚生労働省に向って歌いました。とてもとても寒い日でしたが、素晴らしい証人尋問のせいか、原告の方たちも、弁護士も、支援者もみんな明るい顔で、来年もさらに運動を大きくしようと別れました。

私たち法廷オバーンズは、その後、紹興酒で乾杯。CD売り上げの支援金は、とても喜んで頼りにされているので、来年も広げよう!と誓った乾杯でした。

横井久美子
2005年12月28日

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