Kumiko Report 2/19/2006
写真展&ステキな集まり

18日土曜日、見逃してはならないと東京都写真美術館で開催中の「発掘された不滅の記録1954−1975VIETNAMそこは、戦場だった」に出かけた。翌日で閉会ということもあってか一杯の人で行列になって見た。

入場してすぐ、年代不詳、撮影者不明の「ホー・チ・ミン主席の話に聞き入る若い兵士たち」という写真があった。ホー・チ・ミンが民家の階段に腰掛けて話し、地面に座った100人近い兵士がメモを取りながら聞いている。その写真に感動した。だって、どこの軍隊だって(日本とかアメリカとか)、偉い人の話を座り込んでメモを取って聞くなんて考えられない。それも、正座ではなく、身体はあっち向きこっち向き、でも目はホー・チ・ミンに向き、真剣に聞いている。この写真をみて、やっぱり、ベトナム戦争は、祖国を守り民族を解放するというこころざし高い戦争だったのだと、ジーンとしてしまった。

写真ってすごい。その瞬間、その時代を切り取って残すスゴイ仕事だ。特に優れた写真からは、聞こえるはずもないのに、うめき声、叫び声、ため息、必死な息遣いなど音が聞こえてくる。これは何だろうと思った。不思議だった。また、さらに沢田教一などのいい写真は、この撮影の一瞬、カメラマンは何を考えているのだろう、という疑問が何度も湧いてきた。つまり、その現場に自分を立たせているのだった。

会場で売っていた写真集に石川文洋さんが「ベトナム戦争は、世界の大勢のカメラマンによって記録された。ベトナム戦争以前、またそれ以降も、ベトナムのように自由に撮影できた例はない」と書いていた。だから、1954年から1975年までのたくさんの写真が展示されていて、ベトナム戦争をいろんな角度から見ることができた。私は、1973年にハノイに行ったので、その頃の写真を見ると、この同じ時、私はこの地にいた!という感激もあった。最後のコーナーに「いま、ベトナムは」というコメントがあったが、私は、そのベトナムについての表現は、ちょっと気に入らなかった。

さて、そのあと、私は、新宿に戻り、ニューヨークで「KIDS FOR THE FUTURE」というNPOの活動をしている酒井さんと会った。実は、その10日ほど前、ニューヨークから電話があり、「にんげんをかえせ」に英詞があるかどうか、日本に行くので会いたいといわれたのだった。

初めてあった酒井さんは28歳の魅力的な男性だった。彼らの活動内容は、主に原爆フィルムの上映や他のNPOなどと協力してのチャリ ティー開催などで、今後、協力体制を取り、海外で活発に平和活動をし、”平和の 輪”を世界に広げましょう、ということだった。平和な世界実現のために正々堂々と話す酒井さんに、私は「なんでこんなにステキでまっすぐな若い日本人がアメリカにはいるの?」と思ったのだった。

その後私たちは場所を移し、原爆症認定裁判の全国会議で上京していた京都の尾藤弁護士、大阪の豊島弁護士と合流して、さらに四人で盛りあがった。ニューヨークで10フィート運動の原爆フィルムの上映と共に、CD「にんげんをかえせ」を広め、来年は、被爆者と尾藤先生の尺八と私の歌で、ニューヨーク「にんげんをかえせ」メッセージライブツアーをしようという話しまで飛び出した。(いつもの如く私が言い出したのですが、、。)

酒井さんのように希望に燃えた若い人と出会い、また、尾藤、豊島弁護士ともゆっくり語り、お酒を飲みながらの話しは世界へ広がって、とても気持ちのいい集まりでした。私は、来年は、チリ、ベネズエラにも行きたいと思っている。その前、今年は、6月にはバンクーバーに行くかもしれない。でも、でも、とりあえず、今年すでに決まっている5月のベトナム、8月のアイルランド、そして、8月名古屋、9月京都、11月東京のメッセージライブを成功させなくては!ハイ!

横井久美子
2006年2月19日

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