Kumiko Report 3/13/2006 |
近畿原爆訴訟「画期的」な集い 3月11日(土)、本来だと、主催者的立場である「声をあげよう女の会」に参加すべきでしたが、「近畿原爆訴訟の勝利判決をめざすつどい」の応援のため、その日は、大阪に飛びました。 会場は地下鉄谷町線の南森町駅の「いきいきエイジングセンター」というホールでしたが、大阪って分かりにくいですね。大阪で乗り換え、東梅田駅を見つけるのが大変。(東京も同じかもしれない)。ホールに我々が入場できたのは、2時開演なのに1時間前。こういうホールの借り方は、集会では、よくあるけれど、「プロ」の私は気が気ではない。案のじょう、頼んでいたブームスタンドは会場にはないと管理の女性スタッフにいわれる。エッそんなの困る、歌えないと言うと、どういう訳か、上司に許可を得たといって、他の備品としてあったブームスタンドを持ってきてくれた。 因みに説明すると、私はギターを抱えて弾くので、くの字型のブームスタンドでないと、ストレートのマイクスタンドではギターがぶつかる。また、ギターの音も拾えない。親切な若い女性スタッフのおかげで、スタンドはクリアしたのですが、コードを繋ぐことから音量を調節することから全部やって下さい、と言われた。こんなこと初めて。それに中央までコードが届かなかったりしてマイッタマイッタ。そうこうしていると大学生のような若い弁護士が、何でもやりますからと駆け寄り、実際は機械については何も分からないのですが、その気持ちが嬉しい。また、そうこうしていると、今度は、大学時代「わたぼうしコンサート」の裏方をしていたという東京地裁で凄みを利かせたみえ弁護士が登場。私はホッ。マイクは私の常時使用している「シュア58」といういいマイクがあって、私の本番は、ドタバタ心配した割にはいい音でした。 さて、この日の圧巻は、「若者による原告(被爆者)の紹介と交流」でした。この集会の前、10数人の若者が手分けして13人の原告の方々を訪ね、聞き取り、交流をし、その原告の方々の様子を当日報告したのです。壇上には、若者と原告の方たちが並び、体調が悪くて、集会に参加できない原告は、映像で参加。その若者たちの報告が、自分の言葉で語り、一つ一つの報告にリアリティがあってトテモトテモよかったのです。例えば、ある女性二人は、道が分からず何度も、原告のお宅に電話をし、やっと到着すると「なかなか起き上がれない体の悪い私たちをどうしてこんなにこき使うの」と言われたそうだ。それでも話していくうち、訪ねてくれてありがとうと言われ、私たちもこれからこの酷い被害を伝える人間になりたい、と結んだ。 会場にいた私たちは、十数人の若者がこうした体験を次々と報告する姿を見て、今、この時、被爆体験が次の世代に伝わる現場にいることを実感した。300人余の会場に集まった人たちは、その現場を共有し、「未来」を感じて、感動した。壇上の原告も、若者が訪ねてきた感想を話された。声の出ない原告は、代読で。 こうした企画は、画期的だと思った。若い人に被爆体験を伝えようと掛け声はあっても、また、8月の世界大会やビキニデーなどにも若者の参加があっても、集会のなかで若者の行動を企画として入れることは少なかった。近畿原爆訴訟は、集団訴訟として最初に結審し、判決が出る。11日は、東京、名古屋、広島、千葉など全国からも支援者が駆けつけた。今回の冒険とも思える画期的な企画は、そうした近畿原爆訴訟支援ネットの勝利を勝ち取ろうという意気込みから生まれたのだと拍手を送りたい! さて、私は、その夜は、京都キラキラ新鮮組の組長の畠中幸代さんのお宅に泊めてもらって、翌日は、尾藤先生の事務所で、9月16日、京都アルティホールでの「横井久美子メッセージライブ」の打ち合わせ。畠中さんや京都支援ネットの田淵さんなど6人で、秋にむけて楽しいスタートを切ることができた。打ち合わせ終了後、私は、8月12日に名古屋で予定している名古屋市千種文化小ホールの下見。小さいホールだけれど、私の今までに経験したことのない円形劇場。ホールも出来て3年あまりと新しく、どんなライブをしようかとワクワクしてきた。昨日は、夜遅くなって帰宅したが、大阪で素晴らしい画期的な企画に出会え、また、秋のコンサートの準備も出来、充実した2日間でした。 横井久美子 2006年3月13日 |
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